真田弁護士事務所

 

 

 

繁盛しているわけでもなく、顧客が少ないわけでもない、ごく普通の事務所だ。

見た目は。

 

 

 

「今日は!」

 

がらりと引き戸を開けて声が響いた。

帳簿を付けていた手を止めて、佐助は反射的に顔を上げる。

 

「遊びに来たよ!」

「うわあ!」

 

そしてすぐ背後から声がかかり、佐助は悲鳴を上げた。

 

「何、変な声出してんの?」

「吃驚したからに決まってるでしょう?!」

 

いつもの事ながら、神出鬼没な登場の仕方に、佐助は高鳴る心臓を押さえて背後を見る。

背の高い男が、にこにこと笑いながら佐助を見下ろしていた(身長差)。

 

「いつもの事ですけど、来るなら来るって連絡下さいよ…信幸さん」

 

背後に立っていたかと思うと次の瞬間には佐助の隣のデスク(年中空いている)に座っている男、信幸に、佐助は無駄と知りつつそう言った。(相変わらず行動に連続性のない人だ)

信幸は、無意味に爽やかな笑顔で答える。

 

「自分の家に帰るのに、連絡が要るのかい?」

「いや、まあ、理屈じゃそうなんですけど…」

 

留守番係の自分が吃驚するからやめて欲しい、とは言えず、佐助は曖昧に言葉を濁した。

ともあれ、急な来客のために茶を出そうと席を立つ佐助を目で追いながら、信幸は何気ない口調で聞いた。

 

「ところで、幸村はどこにいるのかな?」

 

うわ来た。急須を持つ手に不必要な力が入って、フタが小さな音を立てた。

 

「さあ…今この時間なら、学校じゃないですかね?」

「そうか。で、いつ帰ってくるのかな?」

 

電気ポットから湯を注いでいる佐助の動きが、一時停止した。小声で、答えを呟く。

 

「…次の休み…?」

「今、何て言った?」

「ぎゃあ!」

 

いきなり真横から掛けられた声に佐助は思わず、熱湯の入った急須を取り落としそうになって、裏返った悲鳴を上げる。(お湯は少しこぼれたが、大事には至らなかった)

デスクから気配もなく佐助の真横へ移動した信幸の顔は、真剣そのものだ。

 

「もしやとは思うが、まさか、今…幸村は家にいないのか?」

「ゴメンなさい信幸さんでも俺だって所長から口止めされてたんです許して下さい!」

 

信幸の口調に佐助を咎める要素は欠片も入っていなかったが、佐助は何故だか謝る。信幸の顔に、苦渋の色が滲んだ。

 

「く…っ!何故だ、父さん!兄たるこの私が、幸村の行方を知らないでどうするのだ!」

 

あさっての方角(多分、信幸的には彼の父親がいる方角)に向かって声を上げる信幸に、佐助は、そりゃ、アンタのその性格のせいなんじゃ…、と思っていたが、勿論口には出さない。

信幸は、幸村の兄だ。そして、極度の兄馬鹿だ。その溺愛ぶりは、傍目に見ている佐助には、到底理解できない域にまで達している。

 

と、事務所の電話が鳴った。

 

「あ…」

「はい、お電話ありがとうございます。こちらは真田弁護士事務所でございます」

 

佐助が出るより早く、信幸の手が受話器へ伸びてやたら滑らかな発音の『接客ボイス』が口から出ている。その辺は、流石。というべきか…(でもそれ俺の仕事です)。そして。

 

『あ、兄上っ!!?』

 

受話器からも漏れるほどの大音声が聞こえて、佐助はついに脱力した。電話してきたのは幸村だったようだ。(俺に用事あるなら携帯にすれば良かったのに…)

 

「よく分かったね幸村。お兄ちゃんの声を見抜くとは、流石私の弟!」

 

ヤバイ、この空間にいたくない。佐助の中の警報機が、最大レベルの危機を告げている。

電話の向こうの幸村は、かなり驚いているようだ(そりゃそうだ)。声が、動揺で大きく震えている。

 

『あ、兄上…な、何故そこに、いらっしゃるのか…?』

「それは、幸村の声が聞きたくなったからさ。今はどこにいるんだい?」

『そ、某の声を…?い、今は、買出しに出ているのでござるが、佐助に聞きたいことがあって、携帯電話を忘れてしまったゆえ、公衆電話から家電に掛けたら兄上がいて…』

 

混乱しているのか、幸村は思った事をそのまま口に出しているようだ。信幸は一々頷きながらそれを聞いていたが、幸村の言葉が終わるとにっこりと微笑んだ。

 

「で、幸村。今どこにいるんだい?」

 

怖い。ここから消えてなくなってしまいたい。佐助はガタガタと震えながら、湯呑みに茶を注ぐが、震える手のせいでかなりの量の茶がこぼれた。

 

『今は下宿先の近くのスーパーに……はっ、』

 

幸村は、自身の失言に気付いたようだがもう遅い。信幸の表情が笑顔に固定される。

 

「へえ~そうなんだぁ。この兄に何も言わず、幸村は信州を出ていたんだねぇ。お兄ちゃん、ちっとも知らなかったよぉ」

 

信幸さん、目が、目が笑っていないですよ……。生まれたばかりの子羊よりも無力な存在に成り果てた佐助は、恐怖の余り引き攣って笑顔のようになった顔で、平伏しながら信幸の前に湯呑みを置く。

幸村の電話越しの声も、引き攣っていた。顔はもっと引き攣っているのだろう。

 

『兄上、その、某は決して…黙って、出て行ったわけでは、ございませぬが…』

「うん、分かっているよ幸村。父さんには話せても、お兄ちゃんには言えない事だってあるんだろうからね」

 

信幸の声は、あくまで理性的かつ、冷静な声音だ。それが余計怖い。佐助は、小さくなってそのまま消えてしまえたらどんなに楽だろうと思いつつ、床に蹲って震えていた。

幸村の弁明の声が、しどろもどろな口調で聞こえてくる。

 

『父上が、某のことは、父上から話して下さると聞いていたので、某、もう兄上はご存知とばかり…』

「父さんのような老獪な人が、そんな口約束守るわけないだろう?幸村、騙されちゃダメだ。

それに私は、直接お前の口から聞きたかったんだよ…

 

あああ、遂に呼称が変わった!佐助はここからどうやって安全に脱出できるか、避難経路を目で探すが、唯一の出入り口たるドアは、事もあろうに信幸の背後だ。

佐助は、絶望に染まる自分の心が砕ける音を聞いた。それは実に甘美な音色だった。その音に全てを預けて、何もかもが終わるまで気を失っていたい。

目覚めたら、全てが終わっていますように。これ以上ないほど、佐助は強く祈りながら目をきつく閉じ、十数えて目を開ける。首を、上へ向けてゆっくりと動かす。

まずは事務所の板張りの床が見え、次にスチール製のデスクが見え、資料や六法全書が収められている棚が見え、蛍光灯の光る天井が見えた。視界範囲内、異常なし。

デスクの縁に指先をかけて、佐助はこっそりと腰を浮かして、デスクの上まで目線を持ち上げる。目から上だけがデスクの縁から出ている格好だ。そのまま目を動かして周囲を探るが、信幸の姿が見当たらない。

受話器はデスクの上に放置され、幸村が『兄上?!兄上っ!返事をして下され!!』と、悲壮な声で応答を待っているのが聞こえる。

 

佐助は、哀しい笑顔を浮かべて立ち上がり、受話器を手に取った。

 

「ダンナ、悪い事は言わない――今スグそこから逃げるんだ」

『佐助っ!某は――』

 

ぶつん。テレホンカードが終わったのか、それとも他の要因のせいなのか、幸村との電話がそこで切れた。佐助は瞑目する。鼻と、胸の奥がツンとした痛みを覚えた。

受話器を電話へ戻し、佐助はそこで初めて空の湯呑みと信幸からの置手紙を見つけた。

 

『お茶ご馳走様でした。野暮用により帰ります。   信幸』

 

読み易い綺麗な字で書かれたそれを読み終わり、それが意味する事が頭に浸透してそれから。佐助はそのままデスクに突っ伏して、久し振りに涙を流した。

 

 

ダンナ。俺、ダンナのこと、守れなかったよ――ゴメンな…

 

「信幸さん…帳簿に直接ペンで書かないで下さい…」

 

 

佐助の仕事が地味に増えた。

 

 

 

 

残量を使い切ったカードが、ピ――という機械音と共に吐き出される。

震える手が、カードを抜き取り公衆電話の筐体に受話器を乗せる。手だけでなく全身が、悪い熱に罹ったように、ガタガタと震えている。

 

兄上が、来る。しかも恐ろしく迅速に。

 

兄の信幸には下宿先がどこかなんて一言も言っていないが、彼の事だ、そんな事は微塵も気にせず的確にここへ来るだろう。幸村は、半ば確信めいた直感を信じる事にした。

 

「一大事でござる…!」

 

取り敢えず、幸村は走った。

嬉しくても怖くても、兎に角走る男だった。

 

 

 

 

 

 

しつこく鳴り響く呼び鈴に、毛利がかなり不機嫌な顔つきでようやく応対に出た。

 

「――間に合っておる、疾く立ち去れ」

「毛利殿!某、真田幸村でござる!まだ閉めないで下され!!」

 

顔だけ出してすぐさま閉まろうとするドアに、幸村は片足を挟ませて抵抗する。お構い無しに閉まるドアで、挟めた足が嫌な音を立てた。折れてはいなさそうだが、青アザは出来ている感じだ。痛みと別の要因で泣きそうになりながら、幸村は声を張り上げた。

押し売りか何かと勘違いしていただけだったのか、毛利は閉めかけたドアを開く。

 

「…真田ではないか。何用ぞ」

 

相手が誰か確かめないで人の足をドアで潰そうとしていたのか。幸村は毛利に対して恐ろしいものを感じたが、もっと怖いもの(キレた兄)が後ろから追いかけてきているので、それは今は気にしないことにする。

 

「毛利殿、急な申し出が失礼である事は承知の上でお願い致す!しかし、暫くの間で良いので、某を匿っては頂けないか!?」

 

幸村の顔があんまり必死だったのか、毛利はやや時間を掛けてこちらの顔を見た後、「貸し一つだな」と呟いて幸村を中へ入れた。

隣が幸村と伊達が借りている部屋なので、毛利と長曾我部の部屋も基本は同じ間取りだ。

だが、殆ど物が無い幸村達の部屋に比べ、通された部屋は何年も前から二人が居着いていそうなほど、生活物品で溢れていた。そのせいか、全く違う造りの部屋に見える。

これで意外に潔癖の気がある幸村は、ゴミとも何とも付かないモノたちに囲まれて、平然としていられる二人が信じられない。片端から捨てるか片付けたくなる衝動を、ぐっと堪えて奥まで進む。そこには長曾我部もいた。今日は平日で普通なら仕事があるのだろうに、彼の職場はどうなっているのだろう。(そういえば兄もだ…何故実家にいたのだろう?)

長曾我部は、所狭しと家具が置かれたリビングダイニングの真ん中で、入ってきた幸村を笑顔で迎える。

 

「おう、幸村。どうしたんだ?」

「ちょかべ殿…!某、一体どうしたら良いのか…っ!」

 

能天気な声音の長曾我部に、幸村は泣き崩れるような格好で寄り掛かる。

寄り掛かってきた幸村の背をつい反射的に撫でながら、長曾我部は、料理が出来る状態にはとても見えない台所から、奇跡的にキレイなまま残ったコップを発掘し、水を汲んできた毛利の顔を見る。(コイツ客に水しか出さねえのか)

 

「元就ぃ…」

「その様な目で我を見るな。真田は貴様を頼っているのではないか」

「そうだけどよ…チッ、しゃあねぇな。オイ、幸村。何があったんだよ?」

 

声を掛けられて、幸村はようやく長曾我部に撫でられている事に気付き、慌てて体を起こす。

 

「はっ…!見苦しい姿をお見せ致して申し訳ございませぬ!」

「まぁ、いいって事よ。んで、さっきから尋常な様子じゃねぇけどよ、どうしたんだ?」

 

姿勢を正して畏まる幸村に、長曾我部は大らかな笑顔を見せた。幸村は一瞬だけ言い淀んだが、決心を固めたように顔を引き締めて、口を開いた。

 

「…実は、某の兄が来るのでござる」

「へえ、それで何でンな慌ててんだよ?別にいいじゃねーか」

 

幸村の顔色が、その一言で面白いほどに変わる。血の気が失せた顔で、幸村は震える声を出した。

 

「普段は、とても落ち着いた、優しい人なのでござる。そう滅多に感情を露わにしないというか…その、余程の理由がない限り、ここまでは来ないような人なのでござるよ…」

「…なんつうか、その余程の理由とかいうので、ここまで乗り込んで来るって事か?」

「左様。某、兄のあのような声を聞いたのは、誠に久し振りでござったよ…」

 

思い出したのか、幸村の体が小刻みに震えている。過去に何があったのか、長曾我部としては聞いてみたい気がしたが、幸村が気の毒なので止めておいた。

そして先ほどから黙って傍観していた毛利が、そこで初めて口を挟んできた。

 

「真田、貴様を匿う理由は承知した。貴様の兄とやらが乗り込んでくるならば、まずは貴様らの部屋へ向かうはずだから、多少なりとも時間を稼げるであろう。

 それで、貴様はその兄をどうしたいのだ?追い払うのか?それとも和解したいのか?」

 

じっと、毛利の平坦な視線が幸村へ注がれる。幸村は決然と顔を上げて毛利の顔を見返した。

 

「某には、兄を追い払う事など出来ませぬ。残る道として、兄の怒りを解き、和解したいでござる。あの人は話が分からぬような方ではないゆえ、不可能ではないはずでござる!」

「成程ねぇ。よっしゃ!幸村、俺もお前に協力してやるぜ!」

「かたじけないでござるよちょかべ殿!」

 

正座のまま、姿勢を正して頭を下げる幸村。長曾我部は実に頼りがいのある笑みを浮かべた。

 

「それでよ…ちいっと試してみてぇことがあんだがよ、幸村。付き合ってくれるよな?」

 

毛利は、長曾我部の目論見が分かり、一人黙って苦い顔をした。

そうと知らず、幸村は力いっぱい頷く。

 

「某で良ければ、手伝いくらい、幾らでも致します!」

「そうでなくっちゃな!じゃあ、ちょいとここで待っててくれ」

 

 

 

 

 

 

 

幸村が直感したとおり、信幸は、幸村の下宿先であるアパートメントに来ていた。

表札を確かめて、呼び鈴を押す。

ドアを開けて顔を出したのは、弟ではなく、右目に眼帯を付けた見知らぬ男だった。表札にある名前から察するに、彼が伊達だろう。

左目を細めて、伊達は訝しげに問う。

 

「アンタは、誰だ?」

 

信幸は、にこりと笑いかけて伊達に言った。

 

「初めまして、私は真田信幸と申します。弟の幸村に会いに来たのですが、今いますか?」

 

伊達の細めていた左目が軽く見開いた。それは一瞬の変化で、すぐに伊達は軽く首を振る。

 

No,今はいないぜ」

 

来るとも聞いていない、と付け加えるように呟く伊達に、信幸は笑顔を維持したまま口を開いた。

 

「幸村には既にここへ向かう事は告げてあるのですが、行き違いになったようです。中で待たせて貰っても宜しいですよね?」

 

口調は許可を請うものだが、明らかに相手にNoを言わせない迫力を帯びている。伊達としても追い返す口実がないので、それでも本意ではない様子でドアを大きく開けた。

お邪魔いたします、と丁寧な言葉遣いで靴を脱ぎ、揃える信幸。むさくるしい所だけどな、と伊達はその言葉に返す。客の応対は基本的に人に任せることが多い伊達は、いざ自分でそれをするとなると、勝手が良く分からない。

普段は幸村にさせていることを思い出し、信幸をリビングダイニングの座卓へ案内する。

幸村の座布団を信幸に使うように勧め、自分は茶を出すために台所へ向かう。

その時ちらりと信幸の様子を窺ってみると、彼は興味深そうにリビングダイニングを見回していた。そんな珍しいモノでもあるのかと首を傾げながら、伊達は湯を沸かすためにヤカンに火を掛けた。

 

(この空間に幸村が暮らしているのか…!)

 

信幸がそんな事を考えていたなんて、伊達には知る由もないし、知りたくもないだろう。

 

 

 

 

 

 

すぐ隣の部屋に兄が来ていることにまだ気付いていない幸村は、長曾我部が目の前に並べている道具の数々に嫌な予感を覚えていた。

長曾我部の背後にある、外へ繋がるドアに目を遣れば、毛利が無表情で施錠するのが見えた。

退路は、無い。

 

「ちょかべ殿…」

「俺さぁ、幸村にならこの色似合うと思ってたんだよなー」

 

上機嫌な様子の長曾我部は、幸村の声を聞いていない。毛利は表情筋を動かす事を放棄したように、能面のような顔で幸村と目を合わせようともしない。

 

「ちょかべ殿、一体、それは…?」

 

誰に使うつもりなのか、もう一度聞こうとした幸村だが、長曾我部は笑顔で何かの液体が入った瓶を持ち上げた。中身を自分の掌へ少し落とし、指先で伸ばす。

 

「まずは下地から作るぜ」

 

動くなよ、と言外の圧力におされ、幸村は硬直する。その強張った頬に、長曾我部の指が触れた。まずは軽く、次は何かを塗り込めるように少し強く。長曾我部の指が動く度に、触れた部分からひやりとした感触が伝わった。香料を混ぜた薬品の匂いに、幸村は鼻の奥がむず痒くなる。思わず眉根を寄せると「我慢しろよ」と軽く笑われた。

下地、とやらを幸村の顔全体に万遍なく塗り込めた後、長曾我部は次の作業に映る。

 

作業の間中、目の前には真剣な顔をした長曾我部がいて、それで視界が塞がり、首を動かそうとするたびに「動くなって」と釘を刺される。喋ろうとしても同じ事だった。幸村は微動だにせず、また口を利かず、長曾我部の為すがままにされていた。

長曾我部も最低限の言葉しか喋らず、毛利に至っては気配すら絶っているような静けさだった。作業の音が控えめに響くだけの、不思議な静寂が部屋を支配していた。

 

どれだけ時間が掛かったのか、幸村にしてみれば半日くらいは経った感覚だったが、実際は1時間も掛からなかったようだ。長曾我部の手際は良く、道具を片付ける様子も手馴れている。

 

「じゃ、後は髪だな。折角長い部分もあるし、結って上げてみるか」

 

片付け終わり、ようやく終わったと安堵する幸村に、悪気はないのだが追い討ちを掛ける長曾我部の言葉。こちらの返事を待たず、櫛を取り出してきて幸村の髪を梳き始める。

 

「ちょかべ殿、某には、ちょかべ殿が何を考えているのかさっぱり分かりませぬ」

 

抵抗はもう無駄なのだと分かり、それでも幸村は少しだけ機嫌の悪そうな声を出してみた。

いきなり男に化粧をしたり、髪を梳いて結い上げるなど、不可解な行動だ。

長曾我部は幸村の髪に挿すピンの飾りを、どれにするか迷っているようだったが、幸村の呟くような声を聞いたらしい。ん~?と生返事ともつかない返事をする。

 

「俺さぁ、これでも化粧品の販売やってんだよ。で、新製品とか出るだろ?使い心地とかについて客に説明しなきゃなんねぇからよ、こうやって自分とか人に試すんだよ」

 

髪結ったりすんのは俺の趣味だけどな、とは口の中の呟きに留めておく。

幸村の明るめな茶色い髪には、赤とかオレンジのような、燃えるような色が良く映える。ピンの飾りは大きく羽を広げた深紅の蝶だ。長曾我部の白い髪には派手すぎて似合わなくても、幸村にはとても似合うと思う。

頭に蝶が止まっていることに気が付いていない幸村は、理由が分かっても機嫌は直らなかった。ただでさえ鋭敏な嗅覚を刺激する化粧品の匂いも、不機嫌の理由の一つだ。

 

「しかし、某にはこのような品の良し悪しなど分かりませぬ。某、女でなくて良かったでござるよ…このような匂いの強いものを付けて一日を過ごすなど、考えられないでござる」

「そりゃあ、いい意見だな。匂いに関してはあんまり聞かねぇからよ、参考になるぜ」

 

幸村が折角考え付いた嫌味の言葉も、長曾我部には通じなかった。

鏡見てみるか?と聞かれても、幸村は首を横に振るだけだった。

今の自分は酷い顔をしている、ということが分かれば、鏡など見なくても十分だからだ。

 

 

 

 

 

 

隣の部屋で幸村が化粧されていることに気が付いていない信幸と、伊達。

信幸は幸村が戻るまで帰るつもりが無いようだ。伊達としては、さっさと幸村に戻って欲しいのだが、買い出しに出掛けたきり、まだ戻らない。

 

「帰ってこないね…」

「――ああ、そうみたいだな…」

 

大した会話もなく、無為に時間が過ぎていく。別に居心地は悪くない沈黙なのだが、如何せん、話題がない。共通の話題は幸村だが、上のような会話以上に話は広がらない。

と、座卓の上に放り出していた伊達の携帯が、激しく振動した。

毛利からの電話だ。珍しいと思いつつ、出る。

 

『伊達、確認したいことがある故、我の質問に簡潔に答えよ』

「テメそれが人にモノ頼む態度か」

『今、客は来ておるか?』

Ah-han?いたらどうだってンだよ」

 

何を考えているのか、今ひとつ読みづらい表情の信幸を一瞥し、伊達は声を低くした。

 

『いるのか、いないのか。簡潔に答えよと申したはずだ』

「…来てるよ。ところでお前こそ、真田知らねェか?客が来てンのはそいつになんだよ」

 

何でそんなことを気にするのか、そもそも何故来ていることを知っているのか、伊達は何となく理由を察し、毛利に聞いた。

毛利が電話の向こうで小さく鼻で笑うのが聞こえた。

 

『ふん、貴様には関係のないことだ。せいぜいその客をもてなしておけ、いつまでも客の前で電話をしているでないぞ』

 

そう言い放って電話が切れた。ムカツク、と伊達も電話を切る。

だがそこで考え直し、伊達の顔に人の悪い笑顔が広がった。

良く分かっていない様子で、笑顔に疑問符を浮かべる信幸に、伊達は言った。

 

「なァ、アンタの弟、ドコにいるか分かったぜ…?」

「本当かい?」

Yes…ついて来な」

 

伊達は立ち上がり、信幸もそれに続く。

二人が向かったのは、隣の毛利、長曾我部の部屋だった。

 

 

まだ続きます

哀れ佐助。そして幸村は一体どうなってしまうのか?!(予告風)