毛利・長曾我部

 

 

 

伊達はその表札が掛けられている部屋の呼び鈴を押した。

彼の後ろには、信幸が立っている。

暫くして、開錠する音が聞こえ、ドアが開いた。

 

 

 

毛利が顔を出し、伊達の姿を見つけ、無言でドアを閉めようとする。

 

Wait…!毛利、テメエそのreactionはおかしいだろうがッ!」

 

閉まろうとするドアノブに手を掛け、無理やりこじ開けながら伊達が低い声で凄む。ドア越しの攻防は、伊達に分があったようだ。力負けしたのか毛利はドアノブから手を放した。

 

「何をしに来た、帰れ」

 

それでも迷惑そうな顔だけは崩さず、毛利は冷たく言い放つ。伊達も口の端だけを持ち上げた笑みを浮かべた。

 

「それは随分なご挨拶だなァ?真田がテメェの所にいるのは分かってンだよ。…大人しく出した方が身のためだぜ?」

「――ふん。察しが良過ぎるのも考え物だな、伊達よ。貴様こそ、我が身が可愛ければ、大人しく引き返せ」

「…お取り込み中、悪いけど」

 

それまでずっと伊達の後ろで見ていた信幸が、二人の真横から声を掛けてきた。死角になっていた伊達はともかく、毛利にすらいつの間に移動したのか、悟られないほどの何気なさだ。

冷え冷えとした舌戦を展開しようとしていた二人も、思わず黙って信幸の、穏やかな微笑を浮かべた顔を見上げる。信幸は、のんびり、と表現できそうな程、静かな声を出す。

 

「ここに、幸村がいるんだよね?」

「…そうだ」

 

毛利ですら、正直に答えてしまうほどの、気迫。成程、これでは弟の幸村が太刀打ちできる道理がない。毛利は頭から納得してしまった。

信幸は、毛利の返答に満足したように、一つ、軽く頷く。それから表情も口調も変えずに、言葉を続けた。

 

「幸村に会いに来たんだけど、上がっても、いいかな?」

「致し方あるまい…」

 

幸村を匿う期間は、暫く、だ。それに和解したいと言っていたのだから、これを好機と勝手に和解すれば良い。

毛利は頭の中でそう考えて、信幸と、ついでに伊達を部屋の中へ入れた。

 

 

 

幸村たちも、玄関先での攻防は聞こえていた。

咄嗟に、隠れられそうな場所を探そうと腰を浮かす幸村。しかし、隠れる前に二人がリビングダイニングへ現れた。

 

「…幸村!」

「――兄上…っ!」

 

腰を中途半端に浮かした妙な体勢の弟と、無意味に堂々とした姿勢の兄。二人の目線が合った瞬間、その場にいた長曾我部には冷たい風が吹き抜けたように感じた。

信幸の後ろから覗き込んできた伊達と、長曾我部は一瞬でアイ・コンタクトに成功する。

 

お前またやってンのかよ

いや、でも似合うだろ?

 

伊達の顔には呆れと、兄弟の対面に対する好奇心が半々くらいで同居していた。長曾我部も、きっと似たような顔をしているのだろう。

兄弟は、暫く互いに何も言わなかったが、信幸がふと、不思議そうな声を出した。

 

「幸村、どうしたんだい…?その顔」

「あ、これは、その…成り行き上、致し方ないことなのでござるが…」

 

長曾我部によって化粧され、髪もセットされた幸村は、何とも言えない顔で長曾我部を見た。

信幸の視線も、彼に向く。ふ、と微笑まれて、「な、何だよ」と小声で呟く。

 

「そうか、君か。いや、上手だねぇ」

 

親指立てて、とても良い笑顔を向けられた。リアクションに困り、長曾我部は曖昧に返す。

 

「お、おう…まぁな」

「うん。似合うよ、幸村。凄く綺麗だ」

「…兄上…」

 

にこやかに、女装した弟を褒める信幸の声には、からかう気持ちが微塵も感じられない。普段見慣れた穏やかな笑顔にも、別の要素は皆無だ。

幸村としては、キレた兄が来るモノと覚悟していただけに、今、目の前のシチュエーションが信じられない。

 

「兄上、何故、ここまで…?」

 

幸村が、それでも怯えた声を出すと、信幸は無駄に爽やかに笑って見せた。

 

「それは、幸村に会うためさ。それ以外に何があるって言うんだい?」

「…はぁ…」

 

その会いに来た理由を聞きたかったのだが、これ以上は答えてくれないだろう。幸村は、諦めたように頷いた。

兄弟から離れた位置にいる、伊達、毛利、長曾我部の三人は、事の成り行きが全て済むまで、傍観に徹することにした。

 

「何か、話に聞いてたのと違うんだけどよ」

「俺には全部初耳なンだけどな」

「……。」

 

そうこうしている内に、兄弟の間の空気は、何やら和やかなものに変わっていた。

詳しい会話を聞くのが怖かったので、三人(の中の毛利と長曾我部)は、取り敢えず、和解は成功したのだと思うことにした。

ならば、この異空間の元である真田兄弟を、この部屋からさっさと追い出すに限る。

三人は、目線だけで相談し合い、2対1で伊達が、追い出す役目になった。

 

「オイ、真田…弟の方」

 

いつもの調子で声を掛け、どっちも真田な事に気付いて、呼称を少し変える。

 

「何でござるか?」

「買い出しはどうした」

「――はっ!」

 

買い出しの途中、疑問が生じたので、伊達に聞こうと携帯を探したが、部屋に置き忘れたことに気付き、仕方なく番号を覚えている実家に電話したのが、そもそもの始まりだった。

スーパー内の公衆電話コーナーに、買い出し途中のままの買い物カゴが放置されている光景が、幸村の脳裏に描き出された。

 

「まだ終わっていないでござる!」

「何やってンだテメェはッ!?」

 

伊達の怒鳴り声に幸村は床に座り込んでいる状態から、一動作だけで直立不動の姿勢になった。

 

「某、今から行ってくるでござるよ!!」

Hurry up!5分で帰って来い!」

「――その格好で?」

 

勢いだけの台詞の応酬に、信幸の冷静な声が割って入る。

幸村と伊達は、一瞬だけ固まった。恐る恐る、幸村が口を開く。

 

「……伊達殿、」

「いいンじゃねェのか。似合うぜ?」

 

口の端を歪めて、伊達が意地悪い声を出した。

幸村は、一度、自分の耳を疑うような顔をしたが、やがて「…行って参ります」と、悲壮な覚悟の声を出した。

毛利が、出て行く幸村の背を見ながら、「勇者だな」と呟いた。

 

「まぁでも、あんまり違和感ないだろ?」

 

一人、長曾我部だけが気楽な声を出していた。

 

 

 

 

 

 

道行く全ての人が敵に見える、地獄のような買い出しが終わり、幸村は息も絶え絶えに部屋へ戻った。

 

「やあ、お帰り。幸村、酷い顔しているよ?」

 

戻るなり早々、玄関に踞る幸村を、信幸がのんびりと出迎える。

横からスーパーのビニル袋を持ち上げて、伊達が言った。

 

「ちょかべから、クレンジング剤貰っといたぜ?早く落として来いよ」

「……かたじけない…」

 

のろのろと身体を起こして、幸村はクレンジング剤を持ち上げた。

 

「あ、幸村。ちょっと、」

 

信幸が横から声を掛けてきて、「何でござるか?」と幸村が彼に振り向いた瞬間、パシャッ!と音が響いた。携帯のカメラを向けた信幸が、ニコニコと笑っている。

 

「待ち受けの新しい壁紙にしようと思って。良く撮れてるよ?」

「…兄上!すぐに削除して下され!!」

 

半泣きで兄に頼む幸村の顔を、「その顔もいいね!」とカメラに収める信幸。幸村はクレンジング剤を握り締めて、洗面所へ逃げ込んだ。

その一部始終を見ていた伊達が、本当に壁紙に登録して満足そうな信幸に、呆れとも何ともつかない顔と声で話し掛けた。

 

「で、アンタ、本当に何しに来ンだ?」

「幸村が進学するっていうのは聞いていたから、遅くなったけど入学祝いでも、と思ってね」

 

信幸は懐から小さな包みを出した。

 

「怒ったフリしてちょっとサプライズ要素を出した方が良いかな、って考えたんだけど。私の方がサプライズを貰ってしまったよ」

「まぁ、impactはあったよな。アレ…」

 

自分の身にも覚えのあるアレ、に伊達も遠い目をする。洗面所の方から、激しい流水音と幸村の「落ちないでござるよぉぉ!」という泣き声が聞こえてきていた。

微笑ましい光景でも見ているような表情の信幸だったが、「さてと、」と居住まいを正した。

 

「私はそろそろ行くとするよ」

「何だ。メシくらい出してやろうと思ったのに」

「ご馳走になりたいのは山々だけどね…実は、」

 

信幸は自分の携帯を取り出して見せた。着信履歴を開く。

明らかに職場からの連絡が、1分おきくらいの間隔で来ていた。

 

「こっそり仕事場抜け出してきているから、一刻も早く戻らないと」

「さっさと帰れ!!しかもこっそり、って既にバレてンじゃねェか!」

 

そう言えば、今日は平日だ。

伊達が思わず声を上げると、信幸は「それじゃ、」と笑顔で玄関のドアに手を掛けた。

 

「幸村の事、宜しく!君なら安心だ!」

「早く出て行け!仕事しろ!!」

 

伊達の投げたスリッパは、閉じたドアに当たって落ちた。

 

 

 

 

 

 

クレンジング剤を半分近く消費して、ようやく化粧を落とせた幸村は、伊達が台所で夕飯の準備をしている姿しかないことに気付いて首を傾げる。

 

「兄上は、もう帰ったのでござるか?」

「…ああ」

 

機嫌の悪そうな伊達の声に、幸村は「済みませぬ」と小さくなる。

それ以上話し掛けることが出来ずに、リビングダイニングへ向かった。

いつもの座卓に、見慣れぬ包みがあった。

 

「…?」

 

持ち上げてみると、一枚のメモが貼り付けてあった。信幸の字だ。

 

『幸村へ、遅くなったけど入学祝いです』

 

「兄上…!」

 

ちょっと感動した幸村は、包みを開ける。出てきたのは小さな白い箱。

その中には、信州名物・リンゴパイ(個包装)が一つ、入っていた。

 

「……兄上…」

 

感動した分、幸村のショックは大きかった。

甘いはずのそのパイは、何故かしょっぱかった。

 

 

それは、幸村の好物だろう?

この日が、お兄さん最強伝説の幕開けとなりました…