a scene of the summer

 

ぬるい床に頬を付け、汗に湿る体を伸ばす。

開け放たれた窓に掛かるカーテンは、微動だにしない。完全な無風状態を保つ外の景色は、今にも全てが溶け出しそうに、輪郭が揺らいでいる。

天気は晴れ。中天にある太陽は、翳りない熱線を地上へ満遍なく降り注いでいた。

かろうじて直射日光は防いでくれるが、放射熱と輻射熱に侵食された部屋は、実質、外気温と大差ない。

頬を付けた床の温度が上がってきたので、億劫だが体を反転させる。似たような体勢の人間が一人、ピクリとも動かずに床に転がっているのが視界に入る。彼の後頭部が動き、連動して肩、腕、背中、脚が先ほど自分が行ったような緩慢な動作でゆっくりと反転した。

彼と目が合う。互いの目は死んでいる。

いつもは片頬を歪めた、皮肉気に吊り上った彼の口は、現在、今にも涎が垂れ流れて来そうなくらいに見事な半開きだ。多分、自分の口も同じような開き具合だろう。涎が出ないのは、口の中が乾いているからだ。水が欲しい。

互いに目を合わせた状況に(もしくは互いが同じ状態である事を直視する事に)、先に耐えられなくなったのは彼の方だった。先ほど以上に緩慢な動作で、壁の方を向いてしまった。

まるで砂漠のど真ん中で互いに遭難しているのを眺め合っているかのような、全く救いがたい光景だった。

半ば以上、生ける屍と化した二人は、先にどちらがくたばるのか、ギリギリのレースを繰り広げているわけではない。気力さえあれば、立ち上がって水を飲めるし、コンビニまで行って涼んだついでにアイスを買って食べる事だって出来る。ここは砂漠のど真ん中ではなく、現代日本の市街地なのだから。

そう、気力さえあれば。

二人が未だかつて体験したことがないような外気の熱が、二人の気力を根こそぎ奪っていた。

片や避暑地、片や緯度の高い都市の出である。夏は暑いと知っていても、これほど過酷な温度まで上がることは稀な土地で育った。暑い日でも窓を開ければ涼風は常に吹いていたし、豊かな緑が太陽の熱を幾分和らげてくれていたのだ。

だが今はそんな恵まれた環境ではない。コンクリートジャングルの異名を取るほどに緑の少ない、何処もかしこもコンクリートとアスファルトに覆われたこの街は、太陽から発せられる種々の熱線を容赦なく吸収し熱を帯び、申し訳程度に植えられた街路樹程度の緑では、温度の低減にそれこそ焼け石に水だ。

昼間に外を出歩く愚を冒さないのは、彼らの賢明さだったが、暑さに対する準備が足りなかったのは、明らかに彼らのミスだった。

この部屋に、クーラーも扇風機もないのが、その証拠だ。

どれだけ同じ床の上で同じ体勢を取っていただろう。

長く、息を吐いて腹筋に力を込める。

寝転がったまま、相手に届くような声を出すのは、思った以上に骨の折れる作業だった。

「…あの、」

相手は無言。ひょっとしたら何か言ったかもしれない。だが聞かれなかった声は発さなかったのと同じだ。構わずに続ける。

「昼飯…は、如何しますか」

「……」

相手が何か言った気配がする。喉の奥でごろつく、独特の低い声。

「い い」

「…左様か」

食べる食べないの話ではなく、何を食べるかの相談だったのだが。

しかし主に料理を作ってくれるのはそこで完全に沈黙してしまった彼なので、彼が要らないと言えば、昼飯はない。どんなにバテていても、正確無比に作動する己の腹時計が、今だけ正直少し恨めしい。

夏の定番といえば、素麺、冷やし中華、笊蕎麦…麺類ばかりだ。だがそれ以外となると、何故かどうしても加熱調理された熱々の料理くらいしか思い浮かばない。

しかし、素麺にしろ、冷やし中華にしろ、笊蕎麦にしろ、鍋で湯を沸かして麺を茹でるところから始めないといけない。

この暑い中、大量の湯を沸かさないといけない。それは二人にとって少々、いやかなり酷な話だ。ここはやはり、自分ひとりが我慢すればよいのだろう。日没まであと何時間。

夕暮れになれば、昼間の熱を吸収した地熱と、空の熱源がなくなって冷えた大気の間の温度差によって風が生まれる。そうすれば、多少は活動しやすくなる。

再び床の温度が上がってきたので、体を反転させる。まずは頭、次に肩、腕、背中、脚。

二人は互いに背を向け合った。

日没まであと何時間。

 

 

 

 

 

 

夏の一幕

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2008/6

このタイミングで何故この話を書く気になったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

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