another scene of the summer

 

ふと思う。

相手の格好は、薄手だが長袖のTシャツにジャージの長ズボンだ。

身嗜みには人一倍気を遣う彼が、起き抜けの格好で居る事自体、既に異常気象の影響はこの部屋に侵食している――だが、今はそんな事を気にする場合ではない。

改めて、今の自分の格好を思い返す。

半袖のTシャツに、高校時代に自分で裾を切った膝丈のジャージ。

因みに今視界の中にいる彼が穿いているジャージは、学校指定のダサいと相場が決まっているような代物ではなく、何処かのブランド品である。しかしそんな事は今はどうでもいい。

今の自分は、彼よりも優位な立場(半袖半パン)にあるにも拘わらず、彼と同じようにバテていて良いのかということだ。長袖長ズボンであるというハンディが向こうにある分、こちらはバテてなどいられないはずだ。

 

…などと真剣に考えていた時点で、異常気象は確実に部屋の中だけでなく、己の頭の中まで侵食していたに違いない。

 

これしきの事で、どうかなってはおれぬ。

そう思い立った時には、ダルい体を床から引き剥がすように持ち上げて、自室に向かっていた。

長袖の上下ジャージを着込み、ジッパーを首元まで引き上げて、元いたリビングダイニングに戻る。

動いた気配が相手に伝わったのだろう、やる気のない姿で床に寝転んでいた彼は、この姿を見て一瞬、隻眼を見開いた。crazyとか呟くのが聞こえる。

だが彼は、自分を見下ろす視線に僅かばかりの優越感があったのを見過ごさなかった。何故、敢えてこの姿でいるのか、その真意を悟ったらしい。

上等じゃねェか。

彼の隻眼は間違った方向に燃える闘志を受けて、ある意味で剣呑な輝きを帯びた。

 

それが決戦の火蓋を切って落とす合図となった。

(そして彼の頭も十分に熱でやられていたという証拠でもあった)

 

彼が自室に引っ込んだと思ったら、分厚いジャージを着込んで現れた。

二番煎じとは、彼らしくもない。そう思う内に気づく。

彼は何と、靴下を穿いているではないか!対するこちらは裸足…二番煎じと見せかけた、何と巧妙な策であることか。

驚愕するこちらの表情に、勝ち誇るかのように彼の口許が歪む。

その涼しげな表情を何とか崩してやりたい一心で、ジャージの上にセーターとジャンパーを着る。勿論靴下は保温効果に優れたウール素材の分厚い物を選んだ。

それを正面から受けて立った彼は、ロングコートにマフラー、手袋という三種の神器を取り出してくる。これ見よがしにニット帽を目の前で被られて、こちらのプライドが傷つけられない訳がない。

だがしかし、元々衣装持ちである彼に、衣服において差を付けられるのは分かりきった事だった。こちらはそれとはまた違う切り口が求められる。

そこで取り出してきたのが使い捨てカイロ。それも一つではない。ジャンパーの内側に左右二つずつ、ポケットにも一つずつ、彼の目の前で貼り付けていく。

服で勝てぬのならば、新たな熱源を持ち出して差を付ける。カイロの数には限りがあるから、張り合ってもそう多くは持てない。先手を打ったこちらの勝ちだ。

勝利の予感につい口が緩んだ。漏れるのは笑いではなく、ぜえはあ、という息切れ寸前のような情けない呼吸音であるが。

カイロという兵器に対し、彼が取った防衛策は、ガスコンロでヤカンに火を掛け、沸騰したお湯で作ったインスタントコーヒーを啜るという行為だった。彼は内側より温めるという奇策に打って出たのだ!

だがそこでインスタントとは。味に拘る彼らしからぬ行為だと思ったが、その行動の真意に気が付いた時、背筋に寒気が奔る様な戦慄を覚えた。

普通のドリップコーヒーでは、例え沸騰したてのお湯を用いたところで、ドリップするまでの時間差により、お湯の温度が下がる。そこに比べて、お湯を注げば直ぐに出来るインスタントは、お湯の冷める時間差が極端に少ない。

そこまで彼が冷徹に計算していたのか…湯気の立つカップを手に、既に何処か彼岸でも見えているかのような彼の一つ目が嘲笑う。

その程度でこの俺に勝った気でいたのかよ?

否。断じて否。

彼を圧倒し、完膚なきまでの敗北を味わせるまで、勝利は決して訪れぬ。

何か…更なる強力な武器が要る。

共用の器具を納めたクローゼットを漁る後ろ、彼が何か新たなる武器を手に入れるべく、台所に立った。

負けられるものか…!

目的のブツを遂に見つけ、思わず笑みが零れた。

その背後。彼は、土鍋を取り出して水を張り、昆布を放り込んでいる。

 

 

 

「なぁ、隣、大丈夫か?今日最高気温35℃超えたってのに、いつもならクーラー無いからってスグこっち来んじゃん?でも今日に限っていつまでも来ねーし、もしかして、ってのもあんだろ?ヤバイことなってねーかな……ちょっと見てくるわ」

そうした理由で隣を訪れた長曾我部は、異様な熱気に包まれた部屋の中で、薄ら笑いを浮かべてコタツに肩まで潜り込んでいる、何故か厚着の真田と、煮え滾る土鍋を手にそこへ向かおうとする、似たような表情を浮かべたやはり何故か厚着の伊達の姿を見て、一瞬、これは暑さで見た幻覚なのかと思ったらしい。

だがそれが正真正銘のリアルであると分かり、二人は長曾我部の手によって、クーラーの効いた隣へ強制連行された。

二人は正気を取り戻せたが、その日のことは黒歴史として、記憶から抹消する事を決めたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏のもう一幕

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2008/7

日付が一ヶ月ズレているのは間違いではありません