成歩堂弁護士事務所には、いつものように弁護士・成歩堂、その助手である真宵と彼女の従姉妹である春美、そして矢張がいた。

彼らは雑談の流れで、『自分が一番怖いもの』の話をする事になった。

 

 

 

「何故ソイツがいるの!」

「人数が足りなかっただけで、特に深い意味は無い。それに、矢張は成歩堂の友人でもあるし、真宵くんや春美くんとも知り合いだろうから、登場人物としては適切と思うが?」

それに対して有効な反証を思い付けなかったらしい冥は、代わりに持っていた鞭でテーブルを打ち据えた。それを見た御剣が咄嗟に思ったのは、法廷の備品と違って割りと良い値段のするテーブルの天板に、傷が付きやしなかったかという懸念だけだった。

 

「にしても聞いているといかにも暇そうね。仕事をしているのかしら」

「それに関しては答えかねるが、これはあくまで仮定の話だということを忘れるな」

 

 

彼らがそんな事を話している頃、地方裁判所第二法廷にて。

 

「異議あり!今の証人の発言は、この証拠品と明らかにムジュンして…ハ、ハクション!!」

「どうかしましたか弁護人?」

「あ、いえ…何でもないです。――とにかく、ムジュンしています!」

 

成歩堂が尋問の真っ最中に法廷中に響き渡るクシャミを発した。驚いて目を丸くする裁判長に取り敢えず愛想笑いを浮かべておいて、成歩堂は仕切り直すために証人へ指を突きつける。

尋問も一段落つき、法廷記録と証言を交互に見比べながら決定的な矛盾を探している成歩堂に、傍らの真宵が話しかける。

 

「なるほどくん、風邪でも引いたの?」

「そんな事ないと思うんだけどなぁ」

「案外、誰かがウワサしてたりしてね!いよっ、この有名人!」

「(うぅ、何だか馬鹿にされている気分だ…)それより、この証人の証言…何か引っ掛かるな」

「そんな時はどんどん揺さぶれば、きっとボロが出るよ!」

「よし、もう一度尋問だ!」

 

被告人の無罪を勝ち取るべく、成歩堂は真剣な眼差しで証言台に立つ証人を睨みつけた。

 

 

――そんな事を検事たちが知る由もない。

 

 

 

 

 

『自分が怖いもの』について、最初に口を開いたのは、春美だった。

 

「わたくし、ヘビが苦手なのです。この間、綾里のおやしきにとても大きいヘビが出てきて、びっくりして転んだこともあるのです…お恥ずかしい話ですが」

「大丈夫だよ!ヘビはね、あそこにいたらその内見慣れてくるよはみちゃん!あたしも子供の頃は怖かったけど、今じゃ全然平気だからね!」

「さすがは真宵さまです!では怖いものはもうありませんね!」

 

無邪気な春美の発言に、真宵は自信に満ち溢れた言葉を返した。

 

「いやまだあるよ怖いものくらい一つや二つ!」

「何でそこで自信満々に答えるのさ!」

 

成歩堂が条件反射の如く突っ込んだ。真宵はそれに関してまったく意を介した様子はないようで、マイペースに顎に指先を添えて自分の怖いものを上げる。

 

「…んーとね、あたしが怖いのは、オバケとかかな?」

「霊媒師なのにオバケは見慣れないの?」

「オバケと霊媒は関係ないよ!オバケは怖いもん!」

 

成歩堂の更なるツッコミに、真宵が切り返す。それを微笑ましく見ていた春美が成歩堂に尋ねる。

 

「では、なるほどくんにも怖いものがあるのですか?」

「ボクの怖いものねぇ…何かなぁ」

 

顎をさすりつつ考える成歩堂に、真宵が口を挟んだ。

 

「なるほどくん、この前トイレ掃除しててクモが出てきた時に凄い悲鳴上げてなかった?」

「そうなのですか?!」

「情けねぇなあ、なるほどう!クモにビビッて悲鳴かよ!」

「あ、あれはいきなり目の前にぶら下がってきたからだよ!不意打ち喰らったら誰だって悲鳴の一つ二つ上げるだろう!?」

 

矢張の揶揄に成歩堂は思わず声を上げるが、その場にいた全員がそれを虚勢であると見破っていた。それにしてもさ、と矢張がしみじみ呟く。

 

「にしてもやっぱ女の子ってカンジだよなぁ、ヘビとかオバケが怖いとかよぉ。オトコとして守ってやりたくなるっつーか、あ!そういや聞いてくれよこないだエリコがさぁ」

「その話は今はいいから、お前の怖いものって何だよ」

 

放っておいたら際限なく付き合っている(と矢張が主張する)女性の話を続けそうな矢張を、成歩堂が遮る。真宵や春美も何となく興味津々といった眼差しで矢張を見ている。

 

「矢張さまの怖いものって何でしょう?」

「何だろう?あんまり思いつかないよねー」

「ほら、二人も知りたいみたいだし」

 

三人分の視線の先にいる矢張は、先ほどまでの饒舌を止めて押し黙ってしまう。

 

「い、いやあオレの話なんかどーでもいいじゃねぇか、なあ?」

 

脂汗を流してしどろもどろになる矢張は、明らかに何かを隠している。

 

「そんなに隠すほどなのか?」

「だってよぉ…言ったらお前ら絶対笑うだろ!」

「いいえ!笑ったりなんか絶対しません!」

「モノによるなー、あたしは」

「ホラ見ろ!絶対言わねーぞ!」

「お前、そんなに怖いものなんかあったっけか…?そこまでされると逆に気になるな」

「なるほどう!お前までオレを裏切るのかよっ!」

 

終いには目を潤ませて懇願するような表情をする矢張の態度は、やっぱり怪しい。

その後も宥め透かして『わたしたちは矢張政志さまの怖いものを知っても絶対に笑いません』という誓約書まで書いて、遂に彼らは矢張の重い口を割らせる事に成功したのだった。

三人の視線の先で矢張は一つ咳払いをする。

 

「いいな、絶っっ対に笑うなよ?!

 オレの怖いものはな…………まんじゅうだよ」

 

その場が静まり返ったのは、ほんの一瞬だけだった。

直後に爆笑の渦が事務所を満たす。

その反応は矢張も予想していたのだろうか、腹を抱えて笑い転げる成歩堂や真宵、顔を真っ赤にして笑うのを堪えようと努力はしてくれているらしい春美に対して、突きつけた指を振り回しながら激昂する。

 

「あーーー!ホラやっぱり笑いやがった!だから言いたくなかったんだよ!」

「だっ…て、そ、そんな…っ!ま、まんじゅうが…怖い、とか…っ!」

「あり得ないよー!」

 

息も絶え絶えになりながらも笑いを止められない事務所の一同に対して、矢張は頭から湯気を出すのではないかと言うほど顔を真っ赤にして怒鳴る。

 

「しかたねえだろ怖いもんは怖いんだからよー!」

「でもお前、前にバイトでまんじゅう売ってたじゃないか」

 

笑いの発作から何とか抜け出た成歩堂の指摘に、矢張は何故か「うっ!」と反応する。しかしそれも一瞬で、すぐさま怒鳴り返す。

 

「アレは彼女が『やって』ってお願いしてくれたからだっつーの!そうでもなきゃ誰があんな…うぅ…っ!と、とにかくオレは愛に生きるオトコだからよ!」

 

答えになっているのかいないのか、勢いで成歩堂を黙らせた矢張は、悪寒がするとでも言うように自身を抱きしめて震えた。

 

「あー。何だか寒気してきた。きっとま…ま…まぁ、アレの話なんかしたからだな!」

「矢張さま、大丈夫ですか…?」

「おう、ちょっと横になれば平気だぜ!な、ちょっと向こうのソファ借りるぞ!」

「あ、あぁ。別に良いけど…」

 

来客用のソファの上に横になる矢張を見送って、弁護士一味は互いの顔をつき合わせた。今までよりずっと小さな声で、話し合う。

 

「それにしてもわたくし、おまんじゅうが怖いとおっしゃる方をはじめて見ました」

「僕もだよ。昔まんじゅうに何かあったのかな…?アイツ」

「――あ、ねぇねぇ!良い事思いついちゃったよ!」

 

真宵が笑顔で両手を打ち合わせる。どうしたの、という成歩堂の視線に促されて、思いついたアイディアを披露する。

 

「矢張さんが目を覚ました時にさ、目の前に沢山のおまんじゅうがあったらどんな反応するかな!見てみたいと思わない?」

「あんなに怖がっておられましたから、それはそれはびっくりなさると思いますが…」

「ていうか、さっきの話を聞いて単に食べたくなっただけじゃないの?」

 

成歩堂の言葉が正にその通りだったらしく、真宵は言い当てられた、というリアクションをする。しかしそこで簡単には引き下がらず、更なる提案をする。

 

「だからさ!矢張さんが怖がったらあたしたちで食べてあげればいいんだよ!」

「ボクはそんな沢山のまんじゅうは要らないけどなあ」

 

しかし成歩堂も普段から矢張に対して色々思うことがあるのか、結局は真宵の提案に乗る事にし、一同は大量のまんじゅうを買い求めるべく外へ出た。

 

 

 

「勿論、矢張は彼らの会話を聞いているので、その企みも知っている。尤も、事務所の一同はその事に気付かないのだが」

「なんて馬鹿なのかしら…。その隙に矢張は逃亡を図るのね?」

「いや、逆に彼らの帰りを待ち受けるのだ」

「ヘビやクモを用意して?」

「……話を続けてもいいだろうか」

 

 

 

ソファの上に横になり、そのまま寝てしまったらしい矢張の目の前に、成歩堂たちは皿の上に山と積み上げられたまんじゅうを置いた。

 

「矢張、おい、起きろよ」

 

彼が眠り込んでしまっては、折角買ったまんじゅうの意味がない。成歩堂が声を掛けて矢張を起こすと、そんなに深い眠りではなかったらしく、ぱちりと目を覚ます。そして、

 

「な、な、ななな…なんじゃこりゃああああっ!!まんじゅうがこんなにあるじゃねえかああ!」

 

それは成歩堂たちが思い描いていたリアクションと殆ど同じであったが、まんじゅうを前に取り乱した様子の矢張を見るのは、仕掛けた悪戯が成功したという達成感を彼らにもたらした。

 

「どうだ矢張、まんじゅうだぞ?」

「ひいい、お、オマエらかよ!これ用意したのはっ!」

「そうだよ!」

 

まんまと企みに引っ掛かったと、内心喜んでいる成歩堂たちの目の前で、矢張はガタガタと震えながら――目の前のまんじゅうを手に取り、口の中に放り込んだ。

 

「むぐっ、うめえな!…あ、怖い!まんじゅうこわいぜー!うん、うまい」

 

怖い怖いと言いながらも、矢張は次々とまんじゅうを口の中に放り込み、咀嚼し、飲み込んでいく。山のようにあったまんじゅうが、次第にその嵩を減らしていく。

あまりの出来事に唖然とする成歩堂たちの目の前には、先ほどまで山のようにあったまんじゅうを食べきった矢張と、空になった皿があるのみだ。

どことなく満足そうな顔をした矢張は、腹をさすりつつソファの上に踏ん反り返っている。

 

「いやあ、食った食った、じゃなくて、怖かったなーマジで!」

 

この時点で、すっかり騙された事に気付いていた成歩堂は、渾身の力を込めてテーブルを叩く。「異議あり!今のオマエの行動は、言動と明らかにムジュンしている!!」

 

「そうだよ!あたしだって食べたかったのに!」

「だってよー、目の前に旨そうなまんじゅうあったら、食いたくなっちまうだろー?」

 

ヘラヘラと悪びれた様子もなく笑う矢張に、ビシィッ!と指を突きつけて、成歩堂は声を張り上げた。

 

「こうなったら、正直に話してもらうぞ!お前が本当に怖いものとは一体なにか!」

 

 

 

 

 

 

 

つづく