逆転小劇場・まんじゅうこわい

 

 

 

 

 

昼時の検事局。

職務の合間の休息を兼ねて御剣が部屋で一人紅茶を啜っていると、控えめながらも有無を言わせない調子でドアが叩かれた。

入室を許可すると入ってきたのは冥だった。彼女がわざわざ訪問してくるのは珍しく――人に何か用事があれば、彼女は出向くより呼びつけるタイプの人間だ――訝しく思いながらも御剣は冥をソファに座るよう促す。

 

「何か飲むか?」

「いいえ結構よ。それより、これを見て」

 

軽い音を立ててソファの前に備え付けたテーブルに投げ出されたのは、一枚のチラシだった。御剣はそれを取り上げて中身を一読する。

 

「これは、何かの証拠品だろうか?」

「今朝私の家の郵便受けに入っていたの」

 

微妙にかみ合わない会話はいつも通りだが、御剣は、これがもし何らかの証拠品として法廷に提出されるような物品であったならば、こうも軽々しく取り扱われてはいないだろうと判断し、その判断に基づいた己の見解を述べるに留めた。

 

「これは不特定多数に配布される宣伝チラシだな。キミの家の郵便受けに入っていたとしてもなんら不思議ではない――書かれている内容も、公序良俗を著しく乱すものでもないようだ」

「本当にそうかしら?」

「それは、どういう意味だろうか?」

 

未だ立ったままの御剣の視線と、ソファに座ったまま見上げる冥の視線が合う。冥は法廷で見せる不遜で挑戦的な眼差しをしていたが、それを受け止める御剣の表情は平静そのものだった。

 

「書かれている内容。もう一度良く読んでみることね、御剣怜侍」

「もう一度も何も…」

 

そのチラシには、おそらく冥の住んでいる区域の自治体が主催する娯楽の一環として、咄家を公民館に招待して演芸を行うといった内容が書かれている。結構な事ではないか、という呟きを耳聡く聞きつけた冥は、柳眉を不快げに持ち上げた。やはりこの男も言われないと分からない部類の人間であるようだ。

 

「この人たちは、何故まんじゅうが怖いの?」

「まさか、知らないのか…?」

「この私を馬鹿にしないことね。まんじゅうが菓子の一種であることくらい知っているわ」

「む、むう…」

 

思わず呻いた御剣の表情の意味は、決して冥が『まんじゅう』の何たるかを知らない事への驚愕ではないのだが、果たしてそれを説明して理解を得られるかは甚だ疑問であった。その為に御剣はその事に関しては黙秘して、日本の文化に未だ不慣れな兄弟弟子に、どう説明するかを考える。

珍しく沈黙を保ったまま返答を待つ冥の前で、腕を組んで指先を軽く叩きながら、御剣は冒頭弁論を述べるかのごとく淡々と言葉を発した。

 

「『まんじゅうこわい』というのは、アレだ。一種の笑い話のようなものだ。内容を簡潔に説明してやるのはそれこそ容易いが、途端に興が殺がれる類の話ではある」

「つまり、定型ジョークのようなものかしら」

「それよりは、スキットやコントに近いな」

「そうなの。…それで?」

 

検事になるための道を最短距離で歩んできた目の前の少女は、こういう回り道的な要素としての遊びに対して、それほど関心を持っているようには見えなかったが、今、明らかに内容の詳細を要求しているようにしか見えない。

 

「それで、とは…私に内容を話してみせろということか?」

「貴方が知らないのなら別に結構よ」

「知らない事はない」

「ならば話してみる事ね!」

 

今までの流れの何処に、彼女が興味を惹くきっかけがあったのか。御剣はここが法廷であったならば確実に『異議あり』を叩きつけてやるタイミングだと思いつつ、しかし、いつもの癖なのかどうか、優雅な仕草で腕をこちらに差し出してきた冥の期待に応えてやるのも吝かではないとも思い直す。次の仕事までの、いい息抜きになるだろう。

 

「ム、では始める。が…」

 

日本文化に不慣れな冥が、長屋住まいの八つぁんやら熊やらご隠居の存在及び役割を承知しているとは思えない。そしてそこまで落語に詳しいわけでもない御剣にその辺りを尋ねられても満足な答えを返せる筈がない。

ここは何か、冥にも分かりやすい登場人物に置き換えて話したほうが良いだろう。

御剣がその様な配慮を講じているとも露知らず、冥はいきなり言葉に詰まった弟弟子を睨みつける。

 

「どうしたの?」

「その前に、そうだな――成歩堂弁護士事務所、及びその面々は知っているな?」

「何故いきなりそんな事を?」

「話の筋としては大差ないので、今回は仮定の話として、彼らを『まんじゅうこわい』の登場人物とする」

「そ、そう…そういう事ね」

 

 

 

 

 

 

 

つづく