袖摺り合うも
1.真田幸村の場合
太陽系連邦宇宙開発局が本格的に太陽系外の開拓に乗り出し始めてから、おおよそ150年経ったらしい。
尤もこの年月は、開発局が宣言した年からの数えになるので、実際に人類が外宇宙へ飛び出しているのはもっと昔からだ。外宇宙開拓150周年記念、という文字を近頃見るようになったので調べたのだ。
人類発祥の祖なる星、地球に降り立った事は一度もないが、今頃太陽系内では至るところで盛大にセレモニーが行われていることだろう。
どんなに技術が進んで人々が地球から遠く離れた場所で暮らし始めても、こういう節目を祝う習慣は未だに根強く残っている。
真田幸村は、外宇宙開発に携わる軍人だった。
外宇宙にいるかもしれない、人類に害なす存在と戦う役目――とはいっても、戦闘訓練は受けただけで、実際は公務員のようなものだった。人類は太陽系を飛び出して150年経った今でも、人類以外の生命体に出会えていない。
今回の仕事も、少し離れたある惑星の衛星軌道上に浮かぶステーションに滞在するというものだった。今時珍しくもない少人数滞在型のもので、普段は無人のセーフポイント(漂流信号を発した宇宙船の回収、及び乗組員の救助を行う活動拠点)として軍が管理している。勿論民間人も使用可能だ。もはや宇宙は政府が威信をかけて取り組む対象ではなく、多くの企業や個人が、利益追求のための市場にしている。
今回の任務は、そのステーションに規定期間滞在し、老朽化の進むステーションの整備や、万が一漂流信号を発する宇宙船があれば回収せよ、という、ある意味軍人らしい仕事だ。
幸村は、指令書を受け取ったその足ですぐさま支度を整え、宙港へと向かう。幸村には別れを告げる家族も、名残を惜しんでくれる友人も殆どいない。
受付にて出立可能機の確認をしていると、声が掛かった。
昔馴染みで、今は軍用宇宙船の整備士である猿飛佐助が、油で汚れた顔を適当に拭いながら近付いてくる。彼は幸村と親しい、数少ない人間の一人だ。
「珍しいねこんな所に来るなんて、お仕事?」
幸村の主な仕事は、基本的には惑星上でこなせる程度のものが多かった。滅多に宇宙空間に出る事はないが、いつ命令が下されても良いように定期的にそのための訓練も受けている。まさか本当にそれが役立つ日が来るとは思わなかったが。
幸村が「そうだ」と肯定すると、佐助は「じゃあさ、」と何か思い付いたらしい声を出す。
「今、俺様が整備した船に乗って行きなよ。前に人が使ったばっかで、次の乗り手もまだ決まってないし」
そう言いながら、受付の問い合わせモニターに、機体の登録番号を入力する。幸村も見てみると、機体情報に整備済みと、現在乗り手なし、の情報が書かれている。
宇宙空間を航行するのが専門の軍人にはそれぞれ専用の機体が割り当てられているが、幸村のように滅多に操縦しない人間は、軍全体で使用している、いわゆる支給船を使うことになっている。資料の貸し出しと同レベルの管理に、常々いかがなものかと思っている幸村も、こういった融通がきくメリットがあるのかと考え直した。
「では折角だし、使わせてもらおう。特に船の指定も受けていないからな」
「そうこなくちゃ!何たって俺様の整備した船だからね、性能は折り紙つきだよ?」
昔から変わらない佐助の軽口に、幸村も「そうだな」と、つられて口元が綻んだ。
「ところで、これは単機なんだけど同行者の人とかいないよね?」
「ああ、指令書には俺一人の名前しかなかったからな。行くのは単独だろう」
「周辺惑星の偵察とか?」
「…軍の規定で内容までは言えぬことになっている。だが、暫くはお前と顔を合わせることは出来ないな」
幸村の言葉に、軽口を叩いていた佐助がふと静かになった。
「それ、危険な仕事なの?」
「単なる雑用だ」
「そ。――じゃあ気を付けて、ダンナ」
「ああ、佐助も達者でいろよ」
昔の呼び方で佐助に見送られて、幸村は乗り手の登録が終わった機体に向かうために受付を後にした。
機体に搭載されている人工知能に幸村の個人データを読み込ませ、マスターとして認識させれば、航行システムの起動から機体の発進までは人工知能が行ってくれる。
乗り手の幸村は、目的地の入力と、発着時の操縦が主な役割だ。港のように整備されている所ならともかく、それ以外の――たとえば今回赴く小型ステーション内部の船着場などという狭い所だと、人間の感覚で操縦した方がまだ接触事故の頻度が少ない。まして幸村の専用機ではなく不特定多数が乗るために、逐一航行データを消去して使っている支給船ならば尚更だ。
「サー、目的地までの距離及び航行時間の計算が完了しました。ただ今最適航路の検索中です。検索完了、目的地到達まで標準時間にして72時間」
「そのルートで良い。すぐに発進してくれ」
「了解しました、サー。周囲に障害物なし、発進可能です。推進エンジンに点火開始。残り2分で機体は浮上態勢に入ります」
人工知能の合成された女の声は、幸村にはあまり耳に馴染みがない分、聞いていてどうも据わりが悪い思いをする。それに対して応答をしている自分も、何だか冷蔵庫に向かって話し掛けているかのような、変な気がするのだ。
システムに従って機体が浮き上がる。動力の向きが垂直方向から水平方向に向かうにつれて、体に掛かるGの方向も変わる。惑星の空気層を突破するために必要な速度まで上がり、操縦席に固定された幸村は操縦桿を強く握り締めることで強烈なGに耐える。
それがある時点でふっと体が軽くなる瞬間が訪れる。思わず詰めていた息を吐きだした。
「本機は惑星空気層を突破しました。予定航路から35度軌道のズレを確認、修正します」
人工知能の冷静な声に、幸村は我に返って操縦桿から手を離した。握り締めるついでに少し軌道をズラしてしまっていたようだ。十分に加速してから慣性に従うためにエンジンを切って、初めて操縦席に固定されていた体を解放する。
幸村は、この空気層突破から慣性航行に至るまでのこの時間が苦手だった。体を固定されるのもそうだが、惑星から自分を無理やり切り離して何もない宇宙空間へ放り出されるこの感覚も、未だに慣れない。
宇宙船乗りたちからすると、地面の上の方が『惑星に縛られる感じがして嫌だ』なのだそうだ。己は宇宙船乗りには向いていない、と幸村は常々思う。
元は技術畑で、志願軍人の幸村は職業軍人と違って任期が決まっている。決して低収入ではない軍の給与は魅力的だが、次の任期終了を機に辞めてしまおうかと幸村は考えていた。
辞めてしまった後に何があるのかはまだ分からない。何があるから分からないから、今の安定した生活に甘んじている。それではいけない、と己の内で何か叫ぶものがあるが、その正体は漠然としている。今はまだ、その声に従うべきなのかも幸村には分からない。
何もない宇宙空間に一人、無重力を体全体で感じながら幸村は、目的地到達までの3日間を上から与えられた有給のようなものだと思い切ることにして、久しぶりに何もせず、先ほどのような無為な考えに耽る時間に充てることにした。
が、またしても人工知能が幸村を呼び出す。
「サー、通信機能がオンになりました。通信の許可を求められていますが、応答しますか?」
「誰からだ?」
「通信番号X-B12-3009-AG75、通信者名サスケ・サルトビです」
「すぐに応答せよ!」
「了解しました、サー。通信を開始します」
人工知能の声が切り替わり、軽い調子の男の声になる。
『…あー。ダンナ?聞こえてる?聞こえてるよね通信系もバッチリ俺様が整備したからね』
「うむ、問題ない。だが任務中の機体に通信を行うには許可が要るはずだが?」
『誰がこの船整備したと思ってんの?チャンネルの幅をちょっと弄るだけでこの通り』
「…服務規程違反で処罰を受けても俺は知らないぞ」
『ダンナが言わなきゃバレない。大丈夫、他の整備士も結構やってるテクだしね』
「それで、何か用なのか?」
『それがさ、何かイヤな噂聞いちゃって。お上からダンナにそんなウワサの情報が行くわけないよなーって思ったら居ても立ってもいらんなくなっちゃって。ホラ俺様って凄い親切じゃん?感謝しても良いよ、ダンナ』
中々本題に入ろうとしない佐助に、「今はそれどころではないだろう」と、幸村は呆れたような声を出した。
「その親切は分かった、それで、どういった噂なのだ」
『最近、海賊絡みの犯罪が多発してるのは知ってるよね、アレの元締めがこの辺りに近付いてんだってさ』
「真なのか、それは。だとすれば何故上層部から通達がないのだ」
『だからウワサなんだって!元締めじゃなくても、ステーションを奪って拠点にしたりとか、結構あくどい事やってる連中だから、ダンナも気を付けてね』
「――ああ、分かった。そう言えば、これは通信記録が残るタイプの機体ではなかったか?」
『そうだねえ。だからダンナ、帰ったらスグ俺のところにコレ寄越してね』
何がダンナが言わなきゃバレない、だ。証拠隠滅の片棒を担がされたことに今更ながら気付いた幸村は「俺が無事に戻る事を期待していることだ」と告げて通信を切った。
佐助は、軍に所属している人間とは思えないほど規則に対して緩い。佐助の言い分としては、自分は整備士として雇われているのであって、軍人じゃないから、というのだが、軍隊という組織に所属している以上は、どのような人間であれ、それらしく振舞うものだろうと幸村は思っている。というかそう言うものではないのだろうか。
帰ったらその辺りをもう一度追求しておこう、何しろ今回は幸村も巻き込んでいることだ。二人仲良く処罰を受けるのは勘弁したい。
しかし幸村は、佐助だけを服務規程違反者として申告する気にはなれなかった。
それと、佐助がわざわざ忠告してくれた海賊の件も気に掛かる。
ステーションを乗っ取り、海賊行為の拠点にする事件は度々幸村の耳にも入っている。今回の任務は、あるいはこの海賊対策のために軍が腰を上げた結果なのだろうか。
下っ端もいいところな幸村には、上層部の意図は分からない。ただ与えられた任務をこなすのみだ。
軍の所持する宇宙船には、どの船にも戦闘用の装備が設えてある。対艦用のと対人用の二種類だ。軍事訓練の一環で扱い方は心得ているが、できれば使わずに任務を終えたい。
任期終了後のことどころか、この任務期間中のことも心配の種が増えた。
どちらも幸村が心配しただけで事態が好転するわけでもない、そう思わなければ不安でやっていけそうもない。
幸村は機体を自動操縦で人工知能に任せているのをいいことに、一時それらを忘れるために操縦席から完全に体を離して、無重力状態の空間の中を漂うことにした。
この浮遊する感覚だけは、昔から幸村が好きなものの一つだった。
機体は計算どおりの航路を取って、任務先のステーションに向かっている。