朝。
いつもならば朝日よりも爽やかな(当社比)笑顔で挨拶をしてくるその顔が、今朝に限ってどんより…とまではいかないが、どことなく覇気がない顔を無理矢理笑顔に変えて、さらに「おはようございます…」と疲労感を滲ませた声を出している。
まるで完徹2日目の朝を迎えた自分のようだ――と思った三成は、そのことを尋ねるべきか否かで一人、朝から悩んでいた。
朝餉を囲む席で、悩みながら焼いた魚の焦げ目を突いていると、こちらは朝に相応しく清々しい表情をした顔に不審な顔を向けられた。
「どうした三成、朝から悩むことでもあるのか?」
「大した事ではない…と、思う」
ぺりぺりと焼き魚の皮を箸の先で剥がしながら、上の空でそれに応える。
実際、大した事ではない。…と思うのだ。
目の前で繰り広げられている光景に比べれば。
「ああほら、幸村まで何を零しているのだ」
「あ…あぁ、すみません」
兼続が手ぬぐいで、幸村の膝を拭っている。されるがままになっている幸村は、先刻に会った時と変わらず、どこかぼんやりしている。
母親が我が子にする行為であるならば、それはそれで微笑ましい光景にも見えるのだが、今回は良い歳した男同士である。朝からそんなものを見たくて三人で朝餉を摂っている訳ではない。
汚れた手ぬぐいを畳み直して脇へ避けながら、兼続が呟くのが聞こえた。
「流石に、昨夜は無理をさせ過ぎたかもしれないが」
「あっ、でもそれは…!」
三成がその言葉に反応するより早く、ぼんやりしていた筈の幸村が声を上げる。
上げた声を引っ込めるわけにもいかなくなった彼は、一度三成の方を申し訳なさそうに一瞥し、涼しい顔を崩さない兼続へ小声を返した。
「兼続殿が最後までやらねば気が済まないなどと仰るからではないですか…!」
「しかしお前だって結局は乗り気だったではないか」
折角幸村が小さな声で言ったのに、兼続は全く意に介さない様子で普通の声量だ。
そして兼続の声は良く通る。
彼らの目の前で焼魚の身を食べるでもなく解している三成の耳に一言一句残らず届く程度には。
実際、大した事ではないのだろうと思う。
さもなければ、『全くの無関係な』三成の前で憚ることなく話すことなど出来ないだろうし。
(僻んでいる訳では、ない。断じてだ)
しかし――
「昨夜、二人して何をやっていたのだ」
そんなたった一言の質問さえ出来ないでいるとは!
三成の前では、哀れな魚が骨格を晒している。解された身は皿の隅で堆く積まれたままだ。
いつしか解すことに没頭していたらしい。
「――それなら三成も今夜、来るか?」
何がどうやってそんな話の流れになったのか、兼続の誘いに三成は知らず首を縦に振っていた。
そして、夜――
日に日に丸みを帯びてくる月は、今は天頂の辺りに小さく貼り付けられ、白い光を放っている。
虫の音、夜行性の鳥の眠たげな声…
それらは毎夜毎夜、執務に追われながらも聞いているはずなのだが、今夜に限って、三成ははっきりと区別して聞き分ける事ができた。
今は一人、廊下を歩いている。灯りは月のそれで十分なほど明るい。
それに、目的とする部屋はすぐ目の前、障子越しでも分かるほどの明るさだ。
木枠に手を掛け、そっと滑らせる直前。
「…あっ…!」
幸村の声がして、思わずその手を引っ込める。兼続の、呆れたような声がそれに続く。
「それでもう何度目だ。未だに慣れていないな」
「ぅ、こればっかりは、何度やっても、駄目なようです…」
実は二人の声の他に、三成には聞き慣れない音が聞こえているのだが、三成はそれを虫や鳥の声ほど、聞き分ける事ができないでいた。
来るように言ったのは確かに兼続で、三成はそれを了承し、現に招きに応じてこの部屋に来た。
だというのに、何故だかこの部屋へ立ち入るのを拒まれているかのような錯覚を覚える。
(馬鹿な。俺とした事が…何も聞かなかった振りをして、ただ入ればよいだけの事…なのに)
再び木枠へ掛けた手に力を込める。
「さ、もう一度だ」
計ったように後押しするような兼続の言葉。対する幸村の声には明らかに拒絶の響きが込められていた。
「!そろそろ三成殿が…」
「構わないさ、来た時に譲ればよいのだから」
俺は、一体何を譲られるのだ?
得体の知れない不安がざわざわと心臓の裏へ這い寄ってくる。障子紙を一枚隔てたその不快感から、三成は顔をしかめた。
逡巡するのも一瞬。再度聞こえた幸村の「あ、あぁーっ!?」という悲鳴?に、三成は意を決して…ということもなく、殆ど無意識にぴしゃーん!と障子を開け放っていた。
「お前ら俺を差し置いて一体何を――!…いや、本当に、何をしているのだ…?」
幸村と兼続は、三成の想像と全く異なり、向かい合ってすらいなかった。平服姿で、襟も裾も乱れた様子さえない。
両手の平に収まる程度の小箱?のような物を手に、葛篭ほどの大きさの箱の前に並んで座っている。よくよく見ると、その小箱と葛篭は細い紐のような物で繋がっているようだった。
「あ、三成殿!」
幸村が、三成の来訪に嬉しそうな顔をする――兼続の相手をする代わりが現れたからだろう。その兼続も、待っていたとばかりに笑顔を向けてきた。
「やっと来たな、まぁ適当な所に座るといい」
取り敢えず、幸村と兼続の間が空いていたので、そこに腰を下ろす。
部屋の入り口からでは良く見えなかった葛篭の正体が、ここからだと詳細まで分かる。
「……何だゲームか…」
「新作だそうだぞ」
葛篭――ではなく、テレビの画面に映し出された映像に、三成はさっきまでの不安感も何処へやら、がっくりと肩を落とした。
その三成の手に、自分が持っていた小箱…ではなくコントローラーを渡して、幸村が頷いている。
「私にはこれは難しいようです…というわけで、どうぞ」
「昨日から夜通しやっているというのに、まったく上達しないのだ」
「お前ら、本当に完徹していたのか…!」
お恥ずかしい話です、と照れたように頭を掻く幸村の可愛さに免じて、三成は兼続のみを睨み付ける。疲労の影さえ見えないその白い顔を睨んでいて、ふと思い至る。
「兼続…お前って、本当に睡眠を必要としていないのか?」
幸村同様、寝ていないのに空元気でもなく、いつも通りの兼続は、ははは、と朗らかな笑い声を上げた。
「何を言っているんだ三成は」
「!だよな、俺の思い過ごし…だよ、な?」
「睡眠を必要としない生物などいない」
ああ全くその通りだ、と肯定しかけて、三成は気付く。
「…それは直接の答えになっていないぞ…?」
「鯨が魚ではないのは牛が魚と同じではないのと同様だということだ」
「意味が分からんぞ、意味が!」
「ま、そんな事はともかくだ……やっていくのだろう?」
挑発するような眼差しと共に差し出されるコントローラー。
「そんな事ではなく、わりかし大事だと思うのだが…追求したところで無駄なのだろうな」
色々と大切なものを諦める気持ちで、三成はコントローラーを握る。
「ふん、『近江の暴れ馬』の異名を取るこの俺に、貴様が勝てるとは思えんな」
「そうこなくてはな!」
既に傍観役と化した幸村が見守る中、コンティニューが選択される。
夜が明けて、部屋の外の世界が朝日に漂白されるように輝いていく。
障子や瞼を透過して網膜に突き刺さる光にむず痒さを覚えて、幸村は目を開いた。
いつの間にか座したまま眠っていたらしい。流石に一晩無理な体勢を保持し続けただけあって、節々が強張っている。仕方なさそうに、幸村は長く細く、息を吐いた。
まずはゆっくりと息を吸いながら天井を撫でるように腕を回して背筋ごと伸ばす。急激に巡りの良くなった血行に、指先からじんわりと心地よい痺れが伝わる。
しばらくそのまま万歳をする恰好でいた後、細く息を吐きながら慎重に指先を下へ動かす。
続いて脚を伸ばして前屈運動を行い、体の強張りを順に解していく幸村。彼の耳には先刻からずっと、早起きの鳥以外の声と、音が聞こえていた。
それは彼が目を覚ます以前、眠りに落ちる前から聞こえている音であった。
「くっ…!もう一度だ、兼続!次こそ雌雄を決するぞ!」
「別に構わないが…もう朝だぞ」
「貴様に勝つまでは、俺の夜明けは訪れんのだよ!」
あれから、ずっとやっていたらしい。
あふ、と小さく欠伸をかみ殺しながら、幸村は静かに立ち上がり、そうっと部屋を出た。
そんな配慮をしなくとも、熱中している二人特に三成には気が付かれなかっただろう。
顔を洗いに廊下を歩く幸村の背後から、「何でだーっ!?」という三成の悲鳴?と、「まだやるのか?」という兼続の声がした。
三成の挑戦はその後、朝の執務の時間になっても姿を現さないことに業を煮やした左近が迎えに来るまで、実に438回目の敗北を迎えるまで続いた。
何か、戦国無双3がウィーで出るらしいじゃないですか。
でもこの人たちがやっているのは多分バサラⅩ。
2008・10