部屋の隅に蹲って、入り口へ背を向けている影を見つけた時、思わず口許が綻ぶのを自覚した。

今日は大事な日である事は、以前より伝えてあったし本人も承知している筈だが、やはりいよいよともなるとその覚悟も揺らぐのだろう。

「――幸村」

わざと低い声を出して名前を呼ぶと、部屋の隅の影がびくりと震え、一段と縮こまった。ここにいることが何故分かったのか、幸村には分からないだろう。そっと近付いて、怯えたように震える背に、優しく答を教えてやる。

「何故お前がこの部屋にいるのか分かったか、知らないだろう。ここに私が何年仕えていると思っている?この場所において、私が知らぬ部屋などないのだよ」

尤も、この答を知ったところで、幸村の絶望が晴れるわけではない。むしろ、逃げ場が何処にも無いこと、望みが完全に絶たれたことを知るだけだ。

「さ、景勝様が心配しておられる。戻るぞ」

まだ薄い肩に手を掛けると、面白いくらいに過敏に反応した幸村が、勢いでこちらへ振り向いた。黒々とした目は潤み、外からの光を反射している。その目の奥にある感情は、不安と恐怖がないまぜになっている。それは明らかに、これから起こる事に対してのものだ。

無理もないと思う。幸村にとって、『あれ』は初めての体験であり且つ、痛い事であるという前情報を持っているのだから。

「『あれ』が怖いのだろう?」

尋ねると幸村は反射的に頷き、それを恥じ入るように顔を俯ける。

「私もだ。初めて『あれ』をされた時には、何故こんなに痛い目に遭わねばならないのか、理不尽に思ったものだ…」

幸村の目に映る感情に、不安でも恐怖でもない色が混じる。それに手ごたえを感じ、畳み掛けるように励ます。

「痛いのはほんの一時だ。それに長引くものでもない、すぐに終わる。それに、いつまでも逃げ続けていれば、恐怖は膨らむばかりだぞ。何、今ここで済ませてしまえば、存外、あっけないものだ」

幸村の目に逡巡の色が濃く出る。まだやはり、決心が付かないようだ。

未だ肩に掛かったままの手を、撫でるように動かして幸村の手を握る。しっかりと掴む感触に、幸村の気が一瞬そちらに逸れた。その隙を突いて、抱き起こすように立ち上がらせる。

「怖いなら、私もついて行ってあげるから。景勝様が待っておられる所まで、一緒に行こう」

無理矢理立ち上がらせられて、それでも抵抗する事など幸村には出来はしない。手を引かれるままに、部屋の外へ連れ出された。

それが合図であった。

大声が屋敷中に響き渡る。

 

「幸村を捕獲したぞ!皆、出合えい!」

 

それは、幸村が思わず手を振り解いて逃げたくなるような光景だった。勿論、しっかりと拘束された手は、簡単には振り解けないのだが。

廊下に面する部屋と言う部屋、庭の植え込み、池の中、果ては屋根の上から縁の下から、わらわらと沸いてくる人、人、人。全員、上杉家に仕える武将たちだ。

彼らはあまりの事態に硬直する幸村を軽々と抱え上げ、えっほえっほと運び去ろうとする。

硬直が解けて、抵抗しようと藻掻く幸村だが、歴戦の勇者たち相手に初陣も迎えていないような武家の子が敵うはずもない。

幸村の縋るような目は、唯一、抱え上げる行為に参加していない人物を捕らえ、懇願するように涙目で訴えかけるが、その人物――兼続は優雅に微笑みながら、ハンディカメラを構えて事の推移を撮影している始末。ここは神に守護された土地なのに、その時ばかりは神も仏も不在だった。

か細い悲鳴が、尾を引いて、上杉家の屋敷に響き渡った。

 

 

 

屈強な男たちに人攫いの真似事のような輸送方法で強制的に連行された場所は、しっかりと拭き清められた、どこか清潔な白っぽい匂いのする部屋だった。

そこで既に待っていた、あまり感情を表へ出さない上杉家当主は、それでもどこか心配そうな雰囲気の表情をして、連行されてきた幸村を見る。

己の醜態を晒した事に、幸村は赤面した顔を上げる事が出来ないでいたのだが、景勝には別の意味で捉えられていたのだ。

「景勝様、お待たせ致しました」

「……うむ」

兼続がいつの間に幸村の後ろで控えていたのか、誰も分からないが、その辺りは皆慣れたもので、特に気にせず、景勝は言葉少なに頷いた。

景勝が誘う先には、白髭を垂らした年齢不詳の仙人めいた人物がいて、彼の手にした道具を見て一気に蒼ざめた幸村が、この期に及んで逃げようとするのを、横から景勝が、後ろから兼続が押さえ込む。

「ほら幸村。力んでいては余計に痛いだけだ、もっと力を抜け」

そう言われて大人しく無抵抗になれるはずもない。幸村を押さえている二人は目配せで何やら相談をまとめ、兼続の意を汲んだらしい景勝が、幸村の服の裾を捲り上げ始めた。外気に晒された幸村の肌に、老人の枯れ木のような手が触れる。骨と皮のみに見えて、意外に力強い老人の握力に、怯え切った幸村は泣き出す寸前の表情を浮かべて誰にともなく懇願のような言葉を繰り返す。

その様子は見る者の哀れを誘うのに十分すぎるほどだったが、その場に居た幸村以外の全員は、無慈悲にも行為を続行する事を選んだ。

「では、お願いします」

兼続が発した執行の合図に、老人は手にした道具の具合を確かめるようにか細い指先でそれを何度か弾く。透明な液が先端から滴るそれを、幸村は恐怖で瞳孔が開き切った目で眺めていた。

肌の十分に湿らせた部位に、老人が持つ道具の先端が押し込まれる。幸村の喉の奥から、引き攣れた悲鳴が短く上がるが、上杉主従の抑え込む力は微塵も揺るがない。さした抵抗もなく、根元まで挿入された先端から液体が押し出され、幸村の体内へ放出された。

異物が肌の下にある感触に、溜まった涙が目尻から溢れ、頬を濡らしていく。声を上げないのは最後に残った意地のようなものだった。目をきつく閉ざし、全てが終わるのをただひたすら待つしか出来ない。

その様子を、幸村の体から道具の先端が引き抜かれるまで見届けた上杉主従は、漸く幸村の拘束を解いた。事が終わる頃にはすっかり放心状態に陥っていた幸村が、支えを失って体勢が崩れるのを、背後の兼続が抱き留める。

「よく頑張ったな、偉いぞ」

普段から口数が少ない事で知られる景勝が、珍しくも感情を込めて幸村に語りかけたが、当の幸村にはその言葉が届いていないようだった。

役目を果たした注射器を仕舞う老人――医師に、短く礼を述べた兼続が何処か満足そうな表情を浮かべ、傍らの景勝に言う。

「近頃は性質の悪い流行病が蔓延っております故、こうして予防に努めるのも監督者の義務でございますからな」

「うむ」

似たような表情の景勝が言葉少なに頷いたが、この主従の会話も、幸村には聞こえなかった。

 

 

 

 

 

幸村の上杉家人質時代

このシリーズは増えそうな気がします…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「前に古い書架を整理していたら懐かしいものが出てきてな。よく景勝様と酒の肴にしたものだ…」

「か、兼続殿っ!早く処分して下さい…!」

「ははは、何を言う。これなんか良く撮れているではないか」

「――兼続」

「…ダビングは1本一万両から。マスターテープは……三成の手持ちで足りるかな?」

「二万石出すぞ!左近が!」

「左近がですか?!」

「それだと島殿にマスターテープの所有権が移るが良いのか?」

「構わん。左近の物は俺の物、俺の物は俺の物だからな」

「あんた何処のガキ大将ですか」

「しかし、幾ら積まれたところで譲る気は毛ほどもないのだが」

「ならばそんな事言うな!」

「あの…本当に恥ずかしいですから、処分して頂けないでしょうか…?」

「いやーそれは無理なんじゃないですかねぇ」