雑賀孫市の生死も不明なまま、細川家へ輿入れしたガラシャは、かつて広い世界を闊歩した頃の装束を纏って奥の間に座していた。

現在彼女がいる細川屋敷は、四方八方を西軍の兵士が取り囲み、物々しい空気に包まれている。

やがて帷子の擦れ合う無粋な足音が数人分、夫以外は決して踏み入れてはならぬはずの、ガラシャがいる部屋へ近付いてきた。

それは想像したとおり、西軍の兵士たちだ。座したまま、凛とした表情を崩すことなく彼らを見上げるガラシャに何事か――おそらくは西軍につくようにという要請なのだろう――を捲くし立てる。

だがガラシャは動じた様子もなく、ただ見上げるのみ。

業を煮やしたかのように、兵士たちの中の一人がガラシャへ手を伸ばした。

しかし、その手は何にも触れることなく崩れ落ちる。

手を伸ばした兵士だけではなく、他の兵士たちも何者かの手によって倒れていく。

ガラシャには聞き覚えのある銃声が数発、響き渡るのは同時だった。

流石に目を瞠ったガラシャは、倒れ伏す兵士たちの向こう、緑の装束を纏った男が硝煙の昇る銃を構えているのを見た。

 

「――ま」

 

その男の名を、ガラシャは呼ぼうと口を開く。

男は、にやり、と薄い唇を歪め、名乗りを上げる。

 

「雑賀孫市、只今参上…てがぶッ!?」

 

間髪入れずに、横から飛来した人影が名乗りを上げ掛けた孫市の横面にドロップキックをかました。

華麗に着地し、態勢を整えたその人物は、三日月の前立てを傲然と振り上げて、堂々と名乗る。

 

「伊達政宗、推参!…待たせたな、ガラシャ!」

「政宗!」

 

ま、の字に開いた口は、孫市ではなく、彼の登場シーンを奪った伊達政宗の名を呼ぶ。

駆け寄る先も、倒れたまま蹴られた顔を押さえる孫市ではなく、あくびれた様子もない政宗だ。

 

「…え、マジかよ…何、で……?」

 

倒れたまま、二人を見上げた孫市は疑問の声を上げた。

 

 

 

 

何事にも、始まりと言うのはある

彼らの始まりは、とある森の中だった

 

 

 

 

「孫、孫!」

 

あどけない少女の声が、森の中を響き渡る。

不慣れな場所を小走りに進むその足取りはやや覚束なく、今にも転んでしまいそうだ。

そのたどたどしい足音が聞こえていないわけではないだろう(ついでに声も)、振り向かずに歩き続ける男は、その気になりさえすれば、追いかけてくるを振り切って森の奥へ進んでしまうことも出来た。そうしないのは、彼の人の良さ故か、もしくは一度面倒を引き受けた以上は最後まで責任を持つ彼の流儀のためなのか(若しくは両方である)、ともかく、彼は少女がギリギリ追い付ける速度の歩調を緩めず、ひたすら真っ直ぐ前を目指していた。

 

「孫!」

 

一際高い声が響く。ついでに、彼女が木の根か何かに躓いたらしい、踏鞴を踏むような乱れた足音。先ほどから呼ばれ続けている男は、遂に振り向いた。

 

「あのなぁ。孫、孫って、アンタは俺のばあちゃんか?」

 

雑賀孫市は、彼の不機嫌がまるで伝わっていない、きょとんとした無邪気な表情の少女に、うんざりした口調を作った。ついでに顔にも歩き疲れとは別の、疲れを滲ませる。

紅い髪をした少女――ガラシャは、きょとんとした顔から一転、花が綻ぶように微笑んだ。

 

「妾は、孫のダチじゃ!」

 

 

 

 

ダチというのは、その人の危機に己の命を張れるくらいに大事な人のことを言う。

契約方法は、「俺たちはダチだ」という意思確認の元、対面で互いの拳を付き合わせるだけで良い。

文書や証人よる証明は不要。遵守の義務は自分自身が課し、それを負うものとする。

…そんな堅苦しい作法は実はなく、友達になるのに書類申請も審査も不要なように、その時のノリと勢いだけでどうにかなるものである。

というわけで、何故だか知らないが、孫市はガラシャとダチになるために向かい合って拳を合わせようとしていた。

少女の小さな拳と、傭兵稼業でここまで食ってきた孫市の無骨な拳が、軽く合わさる――直前。

ヒュン、と何かが孫市の鼻先を掠め、高速で通り過ぎた何かと空気との摩擦熱が直接触れた訳でもない鼻の頭を焦がす。

 

 

タ――ン…

 

 

聞きなれた銃声と火薬の臭いが遅れて感覚器官に到達し、そこで初めて何者かに狙撃された事実に思い当たった。

しかし何者かだなんて、孫市には既に分かっていた。

個人で銃を所持できる人間は、この戦国にそういるものではない。

弾丸の軌道から狙撃者の位置を特定し、孫市は首だけそちらへ向けた。銃声と火薬の臭いは、ガラシャにも伝わっているだろうが、狙撃されたのが孫市だったとは気が付かなかったようだ。付き合わせようと掲げた拳を不安そうに引っ込めて、明後日の方角を向いた孫市に倣い、そちらを見る。

銃を構えて仁王立ちしたその人物は、深い緑を基調とした豪奢な鎧で全身を覆い、三日月の前立てをあしらった兜をかぶった、少年と青年の端境にあるような、まだ若い男だ。

未だ薄い硝煙を上げる銃口を、ピタリと孫市にロックオンしたまま微動だにしないその男は、普段の激情を失ったように無表情だった。ただ、一つしかない大きな目から、つ…と透明な筋が頬を伝う。

男が、震える唇から言葉を紡いだ。

 

「ま…孫、市…の、 不義ィイイイ!」

 

 

ギー! (男の鳴き声)

 

 

文字通り吐き捨てるようにそれだけ叫んで、バッと背を翻す。緑のマントに描かれた龍が、生きているかのようにうねり、次第に小さくなっていった。

突然の狙撃から、何となく勘付いてはいたが…何でいるんだ?

孫市は、走り去った男の、もう見えない背中を見つめていたが、ガラシャの言葉に我に返った。

 

「孫!今のは誰じゃ?孫の事を知っておったようじゃな」

「!あ、あーアイツな…一応、俺の雇い主っつーか、何ていうか…」

「ところで、不義とは何じゃ?答えよ孫!」

「それはアイツに聞けえぶッ!」

 

いつの間に戻ってきた緑色の男は、孫市の顔面にドロップキックをかましていた。

 

「馬鹿孫め!何故追ってこぬのだ!」

 

色々な問題をスルーして、ガラシャは華麗に着地した緑色の男に話しかける。

 

「丁度良い所に来たな!妾はガラシャじゃ、そちの名は何と言う?」

「何だこの小娘は…まぁ良い、儂は伊達政宗じゃ。以降見知り置け」

「政宗は、孫市を雇っておるのか?」

「(え?もう呼び捨て?)…まぁ、そんな所だ。こやつが路頭に迷っておった所を、この儂が拾ってやったのよ」

 

こやつ、と指差した辺りにいる孫市は、地面に倒れたまま、ピクリとも動いていない。

 

「にしても、孫市の奴はいつの間に傭兵から拐し業者へ転職したのだ」

「拐しではないぞ、妾は妾の意思で孫とおるのじゃ」

「それはまた変わった趣向の持ち主だな…道中、危ない目に遭わされたりはせなんだか」

 

今し方、孫市を狙撃しドロップキックまで喰らわせた政宗だが、ガラシャの事はそれなりに心配してくれているようだ。(普段の孫市を知っていれば、当然ともいえる)

 

「孫は色々と教えてくれるのじゃ!さっきも、ダチになる為にこうして向かい合って…」

「ダチ?」

「大事な人という意味じゃ!妾は孫のためなら命を張るぞ」

「…ガラシャとやら、貴様、連帯保証人とかの書類に言われるままに判を押すじゃろう」

「まだ押した事はないぞ」

「ならば良いが」

 

以降、気を付ける様に念を押し、政宗は途中で遮ってしまったガラシャの発言の先を促す。

 

「それで、ダチとかいうものになるのに何で向かい合う必要がある?」

「それは、こうして拳を突き合わせると、妾たちはダチということになるのじゃ。政宗も、妾とダチになるか?」

 

まずは自分の両拳を突き合わせてみせたガラシャは、政宗に対して無邪気に微笑んだ。

ふん、と鼻を鳴らした政宗は、あくまで上から目線をキープして、それに応じる。

 

「なってやらん事もない。孫市一人に貴様を任せるのは、飢えた狼の鼻先に肉をぶら下げておくようなものよ」

「では、今から妾たちはダチじゃ!政宗の危機にも、きっと駆けつける!」

「女子供に護られるような儂と思うな。まぁ、しかし、貴様が困った時は呼ぶといい」

 

ガラシャと政宗は、互いの拳を突き合わせた。

孫市は、未だ倒れたままだった。

 

 

 

 

 

 

その後、何とか復活した孫市は、無邪気に微笑むガラシャの隣に踏ん反り返らん勢いで仁王立ちする政宗の姿を認め、今までの一連は夢ではなかったと悟る。

 

「えーと、何でお前さんがこんな所にいるんだって言うかここは奥州からも離れてるんだぞっていうか一国の主がこんな所に一人でうろついてて良いのかっていうか俺は何回ていうかを繰り返してんだ?」

 

捲くし立てる言葉にもいつも通りのキレがない。

ガラシャは天衣無縫の大らかさで、その全てにカタを付ける一言を発した。

 

「政宗は妾のダチじゃ!」

「そういうことに相成ったのじゃ」

 

そう言う政宗も、満更でもなさそうである。俺が気を失った間に、何があった。そう言い掛けた孫市だが、いやこれはもしや好機ではないか?との考えがもたげた。

この厄介なお嬢ちゃんを一時的にでも何処かに預かれやしないか、ずっとそう考えていたではないか。上手くいけば、その預かり先から彼女の家へ送り届けてもくれよう。

そこに現れたのが、政宗。

 

 

いいんじゃねえ?何か今、すっごく良い事思い付いちゃったんじゃねえの、俺。

 

 

伊達家当主にして奥州の覇者たる政宗に、ガラシャを預ければ、色々な問題が一気に片付くように思えたのだ。

傭兵仲間のむさい奴らに預けるなんて論外だし、秀吉も…奥さんいるけどアイツはなぁ…だし、そこ行くと政宗ん家は申し分ない。しかもコイツら今ダチっつたよな。余計好都合じゃねえか。

孫市は二人にも分かるほどに胡散臭い笑顔を作った。

 

「そーかそーか、嬢ちゃん政宗とダチになったのか良かったなぁ、そいつぁ良い事だぜ、てなわけで、ちょっと政宗こっち来い」

 

良いながら有無を言わさない強引な力で政宗の肩を抱き寄せて、ガラシャに背を向ける格好を取る。正直男の肩を抱くなんてやりたくないが、ガラシャに聞かれたくない相談をするためには仕方ない。

 

「儂に命令とは偉くなったものだのう、孫市」

「まぁ良いじゃねえか細かい事ぁよ。それよりも、だ…お前さん、何でこんな所にいるんだい?」

 

ここは武田領と徳川領を分断する山の麓だ。孫市はある依頼を受けてこれから戦場へ赴く。

まさかそこに伊達が絡んでいるなんて事はないだろう。その戦は、伊達には何の利ももたらさない戦だからだ。

孫市の問いに、「その事よ」と政宗も苦い顔をして見せた。

 

「儂とて好きでこんな所にいるわけではないわ!だが、貴様に話しても詮無きことじゃ。…そこは聞いてくれるな」

「そうかい…じゃあアレか、今すぐ奥州に戻りたいと、そういう事だな?」

 

何の事情があるのか、苦い顔をしたまま頷く政宗に、内心でしめしめ、という思いが拭い切れない。

 

「そこで相談なんだがな、政宗」

「ガラシャを引き取れ、などという願いを儂に聞き届けさせようという腹じゃな、孫市」

 

顔にまで出していたか、そんな事ぁねえハズだ。という狼狽は顔に出していたらしい。政宗は左目を炯と光らせてこちらを覗き込んだ。

 

「そこまで分かってんなら話は早いぜ…」

「断るぞ」

「マジかよ、ダチなんだろ、ガラシャと」

「ああ、ダチじゃな」

「俺はこれから戦に出る。アイツを戦場まで連れて行くぞ?いいのか?」

「傭兵の後ろを追いかけておるのじゃろう。そうなるのは仕方なき事じゃ。あ奴の選択に儂が口を出す義理はない」

「死ぬかも知れねえんだぞ?…俺も」

「それならば、それまでじゃ」

「冷てーな、おい」

「ふん、雇われの立場も忘れ、好き勝手諸国をうろつくような野良など、何処でも好きなところで野垂れ死ねば良いわ」

「…それは、悪い事してるとは思ってるがよぉ…ガラシャまでは関係ないだろ?」

「その野良が拾った小娘まで、何故、この儂が抱え込む必要があるのだ?」

「ダチってのは、そういうモンだろ」

「ガラシャは確かにダチじゃ。儂は、ガラシャが困った時に援助をしてやる…そう言った。確かにな」

「だろ?」

「じゃから馬鹿孫と言っておろう、馬鹿め。ガラシャは、些かも困ってはおらぬ。そこへ儂が差し出がましく手を伸ばしてやるのか?それこそ余計なお世話じゃ」

「……」

「困っているのは、貴様一人のみよ。主をないがしろにした罰じゃな。小気味良い、もっと困れ」

 

そう言って笑う政宗の顔は、年相応の子供じみた笑顔で、その裏に天下を窺う老獪な策士の顔があるとは到底思えない。

思わず力の抜けた孫市の腕から身を離し、政宗はガラシャに向き直る。

 

「二人して、何の話じゃ?」

「孫市はこれから戦へ赴くそうじゃな…ガラシャよ、貴様にその覚悟はあるのか?」

「覚悟?」

「左様、戦へ赴く男を見送る女の覚悟ではない。共に戦陣を張り、生き残る覚悟じゃ」

「あるぞ」

 

政宗の言葉の重々しさからするとあまりに軽い一言。ガラシャには何が視えているのだろうか、微かに笑ってすらいる。

 

「妾は、とっくに覚悟しておる…そこに政宗もいれば、こんなに心強い事はないのじゃ」

「良い覚悟じゃ…気に入った!」

「え、え、ちょ、待てよ」

「儂は今、国許へ戻る途中なのだが、何、多少の回り道も愉快なものじゃ」

「おい、なぁ――」

「そうか、政宗は武者修行を終えたのじゃな!妾はこれからなのじゃ」

「何か噛みあってねーぞ…」

「ほう…それは見上げたものじゃな。それならば儂と共に来るか、ガラシャよ?孫市なぞより高い処から天下を見さしてやるわ」

「お前ソレさっき俺に言ったのと真逆じゃねーか」

「政宗は凄いのう…じゃが妾は孫を置いて行くわけには行かぬのじゃ。妾と孫はダチ故に、な」

「(俺の立場って…)」

「そうか…まぁ孫市に飽いたら何時でも儂の元へ来るが良い。それよりも、今は孫市の戦の話をせねばの」

 

ガラシャと政宗の間に挟まれつつも悉く発言権を剥奪されまくっていた孫市だったが、政宗が漸く彼に水を向ける。ガラシャもおお、と声を上げて孫市に注目した。

 

 

しかし何なんだ、この虚しさは。

 

 

孫市は己の心に芽生えた虚無感を、無理に忘れる事にする。

 

「貴様はこれから何処の誰の戦へ行くのじゃ」

「徳川のおっさんから救援要請が来ててな…無事に浜松まで逃せば俺の仕事は終わりだ」

「ほう、」

「アンタとしても、これで徳川に恩を売るいい機会じゃねぇの?」

 

興味を持ったような様子の政宗に孫市はそう言ってみたが、ハン、と小馬鹿にしたような軽い声が返ってきた。

 

「馬鹿め、儂が本気で恩を売るならば、こんな単身でのこのこ出張る様な真似はせぬわ!

 今回は身分は隠して出陣する」

 

胸張って言う事ですかソレ、とは、孫市は言わないでおいた。(俺ってホント大人だよな)

 

 

 

 

 

 

 

武田軍の猛追から何とか徳川家康を浜松まで逃がしたり、

大阪湾上で、反乱軍を助けたり、

その所為で織田信長に顔を覚えられてしまったり、

見せしめだかなんだかで、里を壊滅させられたり、

色々あった。

その色々の内訳は、ガラシャが明智光秀の娘である事が判明したり、

さっさと奥州に帰れば良いのに何故かいる政宗だったりするのだが…

まぁ、色々あった。

 

 

 

 

 

 

 

そして、冒頭の細川屋敷に至る。

 

その色々を、床に倒れ伏したままぐるぐると何時までも反芻していた孫市だったが、事態はそう悠長なものではない。

きゃっきゃと、久し振りに再会した友達のノリで楽しそうにしているオフタリサンを睨みながら立ち上がる。

 

「さあてと、こんな所に長居は無用だぜ。西軍の奴ら、形振り構わなくなってるみたいだしな」

 

格好良く言ったが、孫市の頬には政宗の足の形がくっきりと赤く残っている。

 

「しかも此処を包囲している連中の指揮官は、あの石田家の筆頭家老だ…甘く見たら火傷じゃ済まねえぜ」

「ああ、あの幼女誘拐犯じゃな!」

「……ソレ、本人の目の前で言ってやるなよ?結構傷ついてたみてーだし…」

 

今は石田家筆頭家老だが、かつては武田軍の客将として敵対した事のあるその男は、ガラシャの目にはそう映っていたようだ。それから特に記憶の訂正も入らなかったようで、そのままになっている。思わず孫市が同情してしまうほどだ。

政宗も腕を組んで頷いている。

 

「成る程な…立場を変えてまでガラシャの身柄を欲するとは、奴はどうやら本気のようじゃ。気を付けるのだぞ」

 

 

お前もか。

 

 

思わずがっくりきた孫市だが、まぁ奴さんも敵だし、そこまで肩を持ってやることもない。気の切り替えが早くなきゃ、一流の傭兵とは言えないよな(だから悪く思うなよ)。

そうこうやっている内に、屋敷の外が俄かに慌しくなった。

庭へ出た三人は、屋敷を包み込むように上がった紅蓮の炎が、夜空を押し上げているのを見る。

 

「…ちっ、奴ら本当にやりやがった!――早く屋敷の外へ!」

 

叫びながら孫市は外へ繋がる門へ駆け出した。一瞬背後に目を遣れば、政宗がガラシャの手を引いて走り出すのが視界に入る。

前を向いた孫市の前に、立ち塞がる西軍の兵士たち。

銃剣を構えて、後続する二人のために彼らを蹴散らす孫市の横を、政宗はガラシャを引っ張って駆け抜けた。

 

「孫!」

 

敵の追撃を喰い止める孫市に、ガラシャが手を引かれたままの体勢で振り向き、声を上げる。

 

「嬢ちゃ…いや、ガラシャ!俺は必ず戻るから、今は政宗と逃げろ!」

「必ずじゃな?!」

「俺は約束を破らない――女とのなら尚更な」

 

ニヒルに笑ってみせる孫市。だがその時には既にガラシャは前を向いて政宗と走り去っていた。

閉じかけた門の向こうに二人の背が小さく見え、やがて視界は門に閉ざされる。

 

 

 

政宗は前を向いたまま、ガラシャを見ないで言葉を発した。

 

「向こうに馬を繋いである…それに乗れば逃げ切るのも容易かろう」

「じゃが孫がまだ…!」

 

未だ手を繋がれて走りながらガラシャは何度かその手を振り解こうとした。しかし、政宗の力は強く、ガラシャを放さない。その掴む手が更にギュッと強まり、思わずガラシャの言葉が止まる。

 

「孫市の事ならば心配要らん…!それよりも貴様に何かあれば、儂らは何のために此処まで来た?貴様をむざむざ死なす為ではないわ!」

 

弁えよ! 掴む手以上に強い言葉に、ガラシャの表情から迷いが消えた。

 

政宗は自分と並ぶように走り始めたガラシャの顔を見、その手をそっと放した。

馬が二頭、木の陰に隠すように繋がれている。まずはガラシャを鞍に押し上げるように乗せ、政宗も残る一頭へ飛び乗る。

一番近い出口へ向かおうとするも、火の手が上がり先を阻む。政宗が小さく舌を打った。

 

「火の回りが予想以上に早い…仕方ないが敷地内を迂回するしかなさそうじゃな」

「ならば、こっちじゃ政宗!」

 

戦場での勘を取り戻しつつあるガラシャは、手綱を引いて馬首を巡らせる。

駆け出すガラシャの馬を、政宗の馬が後を追う。

二頭は暫く敷地内を走り――

 

 

はぐれた。

 

 

敵に囲まれたり炎に行く手を阻まれては迂回する内に、いつの間にか別行動になってしまったようだ。

 

「ガーラシャー!何処じゃー!」

「まーさーむーねー!」

 

孫市はまたしても生死不明になるわ、折角逃がしてくれた政宗とも離れ離れになるわで、この救出劇は早くもグダグダの予感を迎えている。

二人は互いの名を連呼しつつ、馬でそこら中を駆け回る。

 

 

 

やっと再会できたと思ったら、そこには西軍の主力陣が待ち構えていた。

 

 

 

「これ以上、手間を掛けさせないで頂けますかな…」

 

肩に担いだ大剣も、頬の傷跡も、ガラシャの記憶どおりのその男は、あまり気乗りしない様子だった。

主の命とは言え、人質などという手段は随分と卑劣に過ぎるように思えて仕方ないのだろう。

 

「大人しく我らに従って頂ければ、悪いようには致しません」

 

その代わり、抵抗するならば多少は痛い目に遭ってもらう、そう言いたげな口調だ。

 

「やはり――お主は悪い大人だったのじゃな」

「まさか、むしろ職務に忠実とでも言って下さいよ」

 

男は皮肉気に肩頬を歪める。ガラシャはそれに構わず、一人得心がいった風な顔をする。

 

「いいや、妾には分かっておるぞ。お主は幼女専門の拐し業者なのじゃという事を!」

 

ざわっ…と、西軍の将たちの間に動揺が走る。中にはガラシャと見比べる者までいる。

 

「え、いや、何を言って…!?てか何でお前らまで動揺してんの?!」

「やはりそうか!ならば尚の事、ガラシャの身柄を西軍に引き渡す訳には行かぬな!」

 

ガラシャの隣に立つ政宗まで、変質者でも見るような目をしてガラシャの前に立ち塞がった。

 

「ま、政宗公?!何でアンタまでこんな所に!」

「ガラシャ、こんな変態共のいる西軍などに下る必要はないぞ。今のまま、東軍の夫の元に居れば良い…」

「え、ちょ、誰が変態だ…っ!」

 

担いだ刀を地面に振り下ろして、男が声を上げるも、政宗は心底軽蔑しきった目をじとりと向けるのみ。

 

「三方ヶ原での発言も忘れ、よくもそんな口が利けたのう、下郎が。ガラシャ、もう此奴とは口を利くでない。あっちへ行くぞ」

「っだあああああっ!!――って、そう上手く行かせるかよ!」

 

敵への精神打撃は十二分に与えられたが、形勢は未だに二人には不利に出来ている。本来の仕事を思い出した男の号令下、西軍の並み居る武将たちが取り囲む。

 

「恨みはないが、覚悟!」

 

振り上げた得物が、馬上のガラシャを狙う――が、

 

 

 

銃声が夜気を裂いて、ガラシャへ迫る刃を弾き飛ばした。

 

 

 

聞き慣れたその音に、喜色を示したガラシャは振り向いた。

 

「孫!」

「言ったろ?俺は女との約束は破らねえ、って」

 

服のあちこちは煤け、全くの無傷とまでは行かなかったが、孫市はそれでも『格好良い傭兵顔』を作り、片目を瞑って見せた。

しかしガラシャは不思議そうに首を傾げる。

 

「そんな事言っておったかのう」

「…言ったんだよ、アンタ聞いてなかったけどな」

 

折角作ったキメ顔も、疲労に崩れた。

向こうで敵と応戦している政宗が怒鳴るのが聞こえる。

 

「遅いわ、馬鹿孫!何を愚図ついておった!」

「そうじゃ、孫!妾たちは共に戦陣を張って、生き残る!――それが妾の覚悟じゃ」

 

屋敷の奥で自ら死を選ぶ事も出来た。だが、それをしなかった。

それは彼女の中に、常にその覚悟があったからだろう。

再び生きて会うことが出来たのは良い。だが…

 

(それ、俺が言ったんじゃなくて、政宗の言葉だよな…)

 

場所が戦場でなければ、がっくり肩を落とすところだ。

 

 

 

 

敷地内を逃げ回るついでに、屋敷の手の者を助けて回ったのが功を奏し、徐々に援軍の数が増えていく。

奥方が西軍に渡るようならばいっそ…との命を受けていた彼らを、ガラシャは「もう良い」と許した。それが彼らの忠誠を勝ち得たのだ。

西軍は燃え盛る炎でガラシャたちの退路を塞いでいたが、彼らの助力で障害物は撤去され、火も鎮静されつつある。

自由に動き回れるようになれば、元はガラシャの暮らしていた屋敷だ。地の利はこちら側のものである。西軍を攪乱し翻弄し、各個撃破を重ねて敵の余力を削いで行く。

元々が大義などないような戦である。西軍の将たちも本気で掛かってきていたとは言い難く、不利になれば撤退を躊躇わない者も出て来た。

この作戦は失敗に終わったと悟った西軍の指揮官も、最後の一人になるまで粘ったが、「あぁ殿にどやされる」とぼやいて身を引いた。

ガラシャたちの勝ちが決まった瞬間だ。

 

「やったな、嬢ちゃん」

「うむ、これも皆――」

 

夜はもう終わりを告げ、朝日が地平の向こうから顔を出そうとしている。

その光を眩しそうに一瞥し、ガラシャは言い差す。彼女が眩しそうに見ているのは、朝日を背負った孫市だ。こうも見つめられて、柄にもなく孫市は照れたように頭を掻いた。

 

「いや、参ったね…」

「…が妾を助けてくれたからじゃ!礼を言うぞ!」

「……ですよねー」

 

孫市の後ろにも、生き延びて晴れやかな顔をした家臣や、満足そうな政宗がいる。

彼らの協力なしに、今は焼け落ちてしまった細川屋敷や、それを取り囲んでいた西軍からガラシャを助け出すなど出来なかったろう。

 

「ま、これで嬢ちゃんは自由の身だ。何処でも好きな所へ行けるぜ?」

 

西軍によって屋敷も焼かれ、東軍の夫からは殺されても已む無しと言われたガラシャだ。孫市だったら、そんな場所では生きていこうなどとは思わない。

また何時かのように、旅に出るのも良い…まだまだ彼女が知らない広い世間を見せてやりたい。

だが、ガラシャは孫市が差し出した手を取らなかった。静かに微笑んで、焼け落ちた屋敷に一歩近付く。それが彼女の答えであり、新しい覚悟なのだ。孫市にはそれ以上、何も言えなかった。

 

「そうか…」

「うむ。妾には助けてくれるダチもおる。だから――寂しくはないぞ」

 

寂しそうに笑う孫市ではなく、その後ろにいる政宗を見ながら、ガラシャは何の衒いもなく微笑んだ。

 

 

 

それに気付いた孫市が撃沈するまで、残り5秒。

 

 

 

 

 

 

 

 

ガラシャの章、抜粋篇。

義トリオならぬ、みドリオ(緑3)初挑戦。

このトリオも結構好きです。

左近があんまり可哀相なので作中で名前は伏せておきました。(ここで台無し)

時系列の滅茶苦茶さ加減は、今回もスルーの方向でお願いします。

ガラシャと政宗って口調が被るよね!