闇と吹雪に覆われた戦場、三方ヶ原。

 

敗走する徳川勢、それを追撃する武田軍、徳川を逃がそうとする織田。それぞれが天然の暗幕に阻まれ、思うように動けないでいる。

そんな中、武田陣営に一人の男が闇の中から現れた。白い馬に跨り、従者を侍らせているところから察するに、どこぞの将のようだ。しかし、華美な印象を受ける装束や、武具を手にしていないその姿は、戦場に迷い込んだ貴族のようでもある。しかし男は、殺気立った兵や武将に囲まれても、平然と、むしろ堂々とした態度を崩さない。

あまりに不自然なこの闖入者を、武田の総大将・武田信玄は報告を受けただけで謁見まではさせなかった。織田か、徳川が送り込んできた間者である可能性は捨て切れないにしても、今は逃げる狸を追うことが先決。仮に敵方であったとしても、この多勢にその派手な身なりでは逃げ切れまい、そう判断した信玄は、「好きに泳がせろ」とだけ言った。

 

 

法螺貝が、闇に響いた。

わぁっ、と鬨の声を上げて武田の兵士が三方ヶ原に雪崩れ込む。足止めの為に留まった徳川勢の兵士が迎え撃つ。

吹雪をかき消す剣戟の響きが、忽ち広がった。

 

 

男は手にした扇子を振るって徳川軍の兵士を薙ぎ払う。

馬を駆って闇の中へ斬り込んで行く島左近を見送って、小さく呟いた。

お前にここで死なれては、困るのだ

 

 

 

それはおよそ一刻ほど前に遡る。

 

 

 

直江兼続が怪しげな札を持って佐和山に来た。

 

「見ろ、謙信様に新しい札を作って貰ったのだ!友のお前に一番に見せてやろうと思って越後から佐和山まで来たのだ」

「相変わらず説明口調だな」

「そういうお前は相変わらず退屈そうだ」

 

石田三成は文机に頬杖をついた『退屈ポーズ』で兼続の話を聞いている。

 

「ふん、誰が退屈なものか」

「まぁいい!三成、ちょっと協力しろ」

「俺は忙しいと言っている」

「実はこの札は、時間と空間を超えて移動が出来るのだ!」

「人の話を聞け、兼続」

「三成!行きたい場所とか無いか?友の頼みとあらば、何処へでも行かせてやれるぞ!」

「特に無い」

「いやあるはずだろう!」

 

やっと会話が噛み合ったと思っても、温度差だけは縮まらなかった。

兼続は札を手に三成に迫る。三成は嫌そうに兼続を避ける。

 

「そういえば――」

 

横で二人の遣り取りをずっと聞いていた真田幸村が、声を上げた。空気のように存在が軽い彼は、実はさっきからいたのにお茶も出されていない。(兼続には出されていた)

 

「何だいたのか幸村!」

「どうした幸村」

 

二人に同時に注目されて、幸村は一瞬言葉がつっかえた。

 

「え、えっと、その…島殿が以前、死に掛けた戦場があったらしいですよ」

「それがどうしたというのだ?今左近殿は生きているだろう」

「そんな話があったとは初耳だ。それはいつの戦場だ?」

「お館様が徳川勢を追い詰めた時に、島殿も随行していたと聞いています。その際に深手を負ったのだと…」

 

お館様が大好きな幸村は、お館様の華々しい戦歴はちゃんと記憶している。左近も一時は武田軍にいたので、幸村とは何度か顔を合わせたことがあったのだろう。

 

「話が読めんな幸村。それで何が言いたい?その戦場に行きたいのか?」

 

兼続は三成ではなく、今度は幸村に絡み始めた。新しい札の実験台に、三成がならないのなら幸村を代理にしかねない勢いだ。

 

「あの、その、それで、島殿に聞いたのですが、その時三成殿に似た武将に助けられたと言っていました」

「ほう、俺がその場に居合わせていたと」

「闇と吹雪で、人相までは分からなかったそうですが…」

 

幸村に絡んでいた兼続は、三成に向き直る。イカの腹に似た兜が勢いよく回転し、幸村の横面を強かに打った。見た目の割りに地味に痛いその攻撃に蹲る幸村の頭上で、兼続の興奮した声が響く。

 

「成る程…時を越えて仲間を助ける、か!義、だな!」

 

ギー!(兼続の鳴き声)

 

いつもの展開に三成は文机から身を起こした。

 

「この俺が、左近を助ける…」

 

三成の脳裡に、以下のような展開が浮かぶ…

 

 

 

悪の軍団(徳川軍)に囲まれて絶体絶命のピンチ、左近!

そこへ颯爽と登場、俺!→バッタバッタと敵を薙ぎ倒して大活躍、俺!

俺、格好良い!

 

 

 

「…悪くないな」

「ならば善と義は急げだ、三成!」

「馬と護衛を呼んで参ります、三成殿!」

 

 

駿馬と名高い青毛の馬に跨り、腕の立つ護衛を従えた三成は、兼続が描いた怪しげな模様の上に立っていた。

 

「札の効果はおよそ一刻だ!それまでに左近殿を頼んだぞ!」

「誰に物を言っている。出来ぬと言われてやったことで、俺は失敗したことが無い」

「大丈夫です!三成殿ならば出来ますよ!」

「…まぁ、クズ共には負けんさ」

 

兼続が札を構えて呪文を唱える。

 

「オンベンギリギリナントカソワカ!」

「…それで本当に大丈夫か、兼続」

 

流石に不安になった三成の目の前で、兼続が構えた札が宙を舞い、馬に跨った三成と従者の周囲を旋回する。その速度が次第に増し、かっ――と光を放ち、見ていた兼続と幸村の網膜を焼いた。

二人の視力が回復する頃、石田三成という人物は、その時に存在しない人物になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして三成は、武田信玄が健在で、徳川家康も豊臣秀吉も織田信長もまだ天下を取っていない、戦乱真っ只中の時代に飛ばされた。

そして場所は三方ヶ原であり、冒頭の場面に繋がる。

 

 

 

徳川勢は負け戦でも、主を逃そうと死に物狂いで武器を振るって来る。駿馬を操り敵の攻撃を避けながら、三成は左近の後を追った。彼は逃げる家康を単独で追撃するつもりのようだ。

幸い、この経路は敵の数も少なく、左近が家康に追いつくのも時間の問題に思えた――

が、行く手の闇より大音声が響く。

 

 

「本多平八郎忠勝!これより死地に赴かん!!」

 

 

家康に過ぎたるもの二つあり、唐の頭に本多平八。

世にそう謳われる、戦国の世にあって比類なき強さを誇る最強の武人。

彼もまた、主君の為にここに留まる覚悟を固めたのだ。

 

 

三成は、確信する。

左近が深手を負うのは、この時だ。

そしてこの俺が活躍する時も、この時なのだ!

 

 

先に左近が忠勝と鉢合わせしたようだ。忠勝の豪槍・蜻蛉槍と左近の大剣がぶつかり合う甲高い音が聞こえる。初撃で馬から落とされたらしい左近は、忠勝を倒さねば先へ進めないと悟り、激しい攻防を繰り広げている。

その様子を馬上より観察していた三成は、いつ割って入るかを考えていた。

左近がピンチになってから…しかしあまりピンチになってからでは手遅れになるやも知れん…しかしまだ元気そうだ…そろそろか…いやもうあと二、三発喰らってから…

悩む三成。その時彼は兼続の言葉を思い出した。

 

『札の効果は一刻ほどだ!』

 

そうだ、一刻など簡単に過ぎてしまう。それまでにあの怪物のような男を倒さねばならないのだ。

三成は手綱を引いた。

 

「善と義は急げ、だな…!」

 

その時丁度、左近が片膝を付いた。左近のピンチ!即ち俺の活躍のチャンス!

 

 

狸を追ってここまで来たは良いが、深追いが過ぎたらしい。

 

本多忠勝の怪物じみた強さと頑丈さに、左近は進退窮まる状況に陥っていた。

馬は何処かへ逃げ、退くことも出来ない。先へ進むのは論外だ。忠勝は主君の危機に猛然と追撃してくるだろう。それに逃げ切る自信はなかった。

戦いの最中に、雪のせいでぬかるんだ地面に足を取られ、体勢を崩すなど、お笑い種も良いところだが、それを笑う連中はいないし、笑い事じゃなく左近に死が迫る。

蜻蛉槍の一撃は、左近の首ではなく顔の真横を貫いた。風圧で、頬の肉が爆ぜるのを灼熱感を伴う痛みで知覚する。

左近の目の前、忠勝との間に青毛の馬が単騎で乗り込んできたのだ。

馬上の男は、軽い身のこなしで地面へ降りると、手にした扇で(扇で?)忠勝へ打ち掛かる。

地面に足を取られたまま、頬から血が流れるのを拭いもせずに、左近は信じられないものを見ているような顔で、目の前の光景を見ていた。猛将、というわけでもなさそうな、というよりきっぱりと華奢な体躯の青年が、槍でも剣でもなく、扇で忠勝と対等に遣り合っている。

忠勝自身は気付いているのかどうか、誰であれ家康から守るという覚悟のためなのか、誰何の声一つ上げずに応戦している。

 

「誰だか知らないが、助かったぜ!」

 

左近も、今は気にしている場合ではないと判断して、扇の男の正体は聞かない事にした。

 

「ふん、お前に死なれては困るのでな…!早く行け!ここは俺が!」

「おう!」

 

左近の背に、男の大声が聞こえる。

 

 

「忘れるな!お前は将来、この俺に仕えるのだからな――!!」

 

 

「はいぃっ?!」

 

ぎょっとして振り向いた左近の目には、ひたすら派手な爆発と、その中で扇を手に舞うように忠勝へ打ち掛かる男の派手な衣装しか映らなかった。

 

「俺が、あの御仁に?まさか…ね」

 

 

 

 

 

そのまさかが実現するのは、それより後、織田の世が来る直前、信長が本能寺に横死した頃。

「二万石出そう!」

そう言い放つ治部少輔の、派手な身なりに記憶を刺激されるまで、この一連は左近の奥深くに眠ったままになる。

 

 

 

 

 

…あれ?思った以上にギャグにならない。

いやでも義トリオは書いてて楽しい。

人の話を聞かない兼続。

空気のような存在幸村。

俺、格好良い!な三成。

口調が分からない左近。

 

今度は三成と誾千代と左近の三角関係(ただし一方的)を書きたい…かも。