そこは、城下でも旨い団子と茶を出すという、有名な甘味処だ。

前田慶次は、大阪に来ればちょくちょくそこへ足を運ぶ。大抵は女連れであるが、たまには一人で。

そのたまに、の日に、慶次は珍しい客がいるのを見つけた。

 

平服を着て、いつもは垂らした髪を一つに括り、町人を装ってはいるが、其の平服は下ろしたての様に染みや綻び一つ無く、顔立ちや所作からして明らかに市井の人間では無い事が明らかだ。

というか彼は、天下人・豊臣秀吉の側近中の側近、冶武少輔その人である。あの誰もが見上げる大阪城の中で、誰からも見上げられているお人だ。こんな処の中でお目に掛かれるような存在ではない。彼の正体を知らなくても、彼がやんごとなき身分の人間である事は皆分っているのだろう、いつも愛想の良い笑顔を向けてくれる売り子の娘も、どこか遠巻きな態度だ。

 

供も付けずに何をしているのかと見ていれば、団子を買っている。

しかも茶まで注文している。

席を案内されている。

ここで食べて帰るつもりらしい。

 

どこか落ち着きを失くした様子で店内を見回しているそのお人は、入り口付近に立って、にやにや笑う慶次に気がついた。一瞬、不快そうな顔をして、いつもの仏頂面を作る。

 

「やぁ、奇遇だねぇ」

 

本当に奇遇だ。遠慮なく隣に腰掛けると、店主の男が顔を青くして慶次に声を掛けた。

 

「アンタ、その人は――」

 

慶次が何か言う前に、隣の仏頂面が表情を変えずに店主を制する。

 

「構わん。俺の連れだ」

「は、へぇ…かしこまりました」

 

納得いかないような顔で、慶次と、その隣の仏頂面を見比べて、店主は奥へと引っ込む。

 

「顔見知りのようだな、前田慶次」

「はは、まーな。ココは良く通うんだよ」

「ほう」

 

隣に座っている仏頂面は、慶次の顔を見ようとしない。真っ直ぐに前を見て、…いや、机の天板を睨みつけて、眉間に皺を寄せている。

 

「で、アンタは何でこんな所にいるんだい?」

「城下で評判の甘味処があるというので来て見ただけだ」

「それなら、使いを出せば済む話じゃねえの」

 

というか、彼の身分ならばそれをするのが当然だろう。何故、わざわざ変装(だろう、多分)までして来ているのか。慶次の言葉に、彼は眉間の皺を深くした。

「…出来立てが一番だ、そうだ」

「確かに、ここの団子は搗き立てが一番だわなぁ――あ、俺にも団子と茶」

 

慶次はそこで、通りかかった売り子に自分が食べる分の団子と茶を頼む。

隣の仏頂面は、視線で天板に穴を開けるつもりなのか。そこに憎き仇でもいるかのように睨み続けている。一体何が不満なのか。

 

「――何故だ」

「何がだい」

 

低い声音に慶次は聞き返した。

 

「何故、貴様なのだ」

「――俺がどうかしたのかい」

 

ふつふつとした怒りが、何故か隣から漏れ出ている。

一体、何なのだ。

内心で首を傾げた慶次の疑問に、タイミング良く答が出た。

 

「この店は、幸村がよく来るそうではないか。俺は、多忙の合間を縫って、わざわざ城から抜け出る時間を作ってこの店にたどり着いたというのに。何故、幸村ではなく貴様が来るのだ…!」

 

これが八つ当たりって奴かい。

慶次はどうしたものかと首をぐるりと回した。

 

「幸村と来たかったんなら、呼び出して誘っちまえば済むだろうよ」

「それが出来れば苦労はせん!」

「そうか?」

 

あっさりと返されるとは思わなかったのか、彼は遂に慶次の顔を見るために横を見た。

 

「…だって、俺にだって仕事があるし、幸村だってそうおいそれと上田から大阪までは来てはくれんだろう。しかも来る時は何か用事がある時だ。茶を飲みに行く時間など、ある、訳が…」

「時間なんて作れるだろうよ。アンタだって現にここにいんだし」

 

慶次の指摘に、さっきまでしどろもどろもいい所な口調で言い訳めいた事を口走っていた彼が、一瞬で普通の顔に戻って平静な声音で言葉を返す。

 

「それは、殆どの仕事を左近に丸投げしてきたからだ」

「え、さっきアンタ時間作って、って言ったよな…?」

「置手紙を一筆書いておいた。それで万事解決だ」

「解決かぁ…?」

 

取り敢えず、疑問の声は上げておいた。しかし隣の仏頂面…ではなく、今はどこか満足そうな笑みを浮かべている彼は、「解決済みだ」と力強く頷いてきた。

彼がそこまで言い切るからには、そうなのだろう。慶次はそれ以上、深く追求し無い事に決めた。

 

誰だって、無傷で迎える明日は大事だ。

 

そこへ、ようやく彼の頼んだ分の団子が運ばれてきた。ついでに慶次の分も運ばれてきたので、同時になるよう店側が配慮したのだろう。二つ並んだ団子の皿と、まだ湯気の立つ茶の入った器。それを手に取りしげしげと眺め見て、彼はふん、と面白くもなさそうに鼻を鳴らす。

 

「茶器にも多少の拘りがあると見える」

「流石、詳しいね」

「秀吉様が、近頃凝ってらっしゃるのだ。城内に庵を建て、何と言ったか、茶人まで呼び寄せ毎日のように茶会を開いている。俺も、立場上何度か列席したが作法だ詫び寂だとうるさくてな…

――いや、つまらん話をしたな」

「そんな事ねぇぜ」

 

会話がそこで途切れ、二人は団子を食べる。

普段、戦場に何気なく落ちている(良く分からないが戦をすると腹が減るので助かる)団子と違い、もっちりとした歯ごたえともち米本来の甘みを堪能できる、流石は城下で有名な団子屋の団子だ。もぐもぐ、と下品にならない程度に口を動かしながら二人はあっという間に一本目を平らげてしまった。

 

「旨いな」

「そうだろう」

 

茶を一口、団子を胃に流し込むために啜った後で、彼は素直な感想を漏らす。我が事のように慶次は同意する。

 

「幸村に続いて、アンタもご贔屓さん、だな」

「……まさか、とは思うが」

 

団子で機嫌が良くなった、と気が緩んだのが拙かった。

その場の雰囲気ごと凍りつかせるような、液体窒素の如く重く冷たい声で、彼は己の中に芽生えた懸念を口に出す。

 

「この店を紹介したのは、やはり貴様だったか。前田慶次」

「え?いや、まぁ、…そうだけどよ…」

「……そうか…

 幸村が、な。とても嬉しそうに俺に話してくれたのだ…とても、嬉しそうに…!」

 

不機嫌の理由はそれか。納得したくなかったが、理由が分かった慶次はさっきまで湯気の立っていた茶を口に含んだ。

茶が、氷のように冷たくなっている。

…背筋が寒くなったのは、気のせいではなかったようだ。

よく見ると、団子にうっすらと霜が降りている。

 

「………」

 

下手な刺激を与えては、命に関わる。本能がそう告げている。

 

「…実はここを紹介したのには理由があんだよ」

「どのような理由だ?」

 

それ次第では、どうなるか。分かっているだろう?

氷のように冷えた殺気が、ビシバシ伝わってくる。慶次は珍しく死すら覚悟した。

ここは団子屋なのに。戦場でもないのに。しかも相手は味方のはず、だ…確か。

 

「幸村、が。アンタが最近激務の連続で疲れてるだろうからって。何か息抜きになるような事ないか、って聞いてきたんだよ。疲れた時は甘い物、だろう?それに少しは外の空気吸わねえと、肺にカビ生えちまうぜ」

「幸村が…」

「アンタも心配されてんだな」

 

良かったじゃねぇか。慶次はそう言って笑って見せた。

 

「あぁ、そうだな…俺も独りではないという事かも知れんな」

 

ふ、と頬の緩んだ彼に、引き締めていたこちらの気もつい緩んだ。

 

「そういや、幸村は何でアンタとここに来なかったんだ?」

「聞きたいか…?」

 

氷の殺気、再び。

一体何が二人の間にあったのだ。

 

「なぁ、もしかして…誘われなかった、のか…?」

 

豪放磊落、とまで言われている慶次が、人の機嫌を伺うように恐る恐る尋ねる図というのは、彼を知る人なら一見の価値がある。

 

「――実はな、」

 

冷え切った茶を平然と飲み干して、彼は茶の苦さとは別種の苦い顔をする。

それは後悔に近い表情だった。

 

「幸村に『良かったら今度如何ですか』と言われたのだが、…俺は……」

「大方、『仕事が立て込んでて無理だ』とか言い返したんだろう」

「貴様、俺と幸村の会話を聞いていたのか?!」

 

図星のようだ。

 

「何つうか、結構簡単に想像できたんだが…てことはソレ、自業自得とか言わねえ?」

「ふっ…俺の辞書に自業自得という言葉なぞない」

「そいつぁとんだ落丁本だな」

「何とでも言え。…しかし、あの時の幸村の落胆振りからすると、俺も少しは期待しても…良いのだろうか…」

 

あの時、とやらを思い返しているのか何やら嬉しそうな彼を見て、「いや、普通誘って断られたら落胆の一つ二つすんじゃねえの?」と、慶次は言わないでおいた方が良いと判断した。きわめて正しい判断だったと思う。良く分からないが、この『命拾いしたな』感は何だろう。

慶次が己の感情に疑問を浮かべている間に、彼は脳内で何やら楽しい一時を堪能していたようだ。

 

「そこで、だ。今度は俺から幸村を誘い返してみようと思うのだが」

「あぁ、まあ、良いんじゃねーの?喜ぶと思うぜ…」

「そうか。まぁそれも当然だよな俺が誘うのだから」

 

そこで彼は席を立った。

 

「正直、貴様をこの店で見たときは不愉快以外の何者でもなかったが」

「アンタ本当にはっきりと言うねえ」

「この時間、無駄ではなかったように思う」

「そこははっきりしてないんだねぇ」

 

では、と彼は会釈もしないで店を出て行った。

あまりに自然に出て行ったので、慶次は普通に「またな」と手を振って…思い出す。

 

「…勘定は俺持ちなのかい?」

 

そこへ、一つの影が走り込んできた。ぜえはあ、と荒い息を整えて、ぐるりと店内を見回し、慶次と目が合った。

 

「あ、前田殿!殿、見ませんでした?!」

「今し方出てった所だぜ」

 

その人影――島左近は、諸々の何かが折れたようにがっくりと膝を床に着ける。その手には例の書き置きらしき紙が握られている。

そっと近付いて、慶次は声を掛けた。

 

「あの様子じゃ、城へ帰ったと思うぜ…一度戻ってみちゃどうだい」

「え、ええ…そうしますよ」

「じゃあ、俺もどっかで昼寝しに行くかな――団子も食ったしよ」

 

慶次はごく自然に団子屋を出た。何となく見送った左近の肩に、男の手が乗る。

 

「あのう、アンタ、あの人達の連れか…?」

「まあ、そんな所ですが…何か?」

 

振り向くとそれは、団子屋の主人だった。肯定した左近に、どこか安心したような表情で告げる。

 

「あの二人、団子と茶を食べて勘定払ってないんだよ…アンタ連れなら二人分、払ってくれよな」

「――領収証、書いて貰えませんか。宛名は石田三成で」

 

左近は胃炎の再発を予感する胃痛に若干顔が引き攣ったが、どうにか愛想は良く応対できた。

 

 

 

 

 

それは水曜日の昼下がりの事だった。