執務室の文机に凭れて、石田三成はぼんやりと外を見ていた。
夥しい量の書簡や書類が文机に山積みになって、部屋には散らばる紙類で足の踏み場も無い。側近の島左近が、新たな仕事を抱えて執務室へ入ってきた。
「…殿、如何なさいましたか。朝から全く仕事が捗っておりませんな」
「左近か」
三成は気だるい視線を左近にくれると、ふぅ、と息を吐いた。
色素の薄い赤い髪、整った鼻梁と、伏せれば白い頬に影を落とす長い睫に縁取られた切れ長の瞳。
石田三成は、黙って黄昏てさえいれば、文句なしに美形だった。
「俺は今、恋わずらいの最中だ。邪魔をするな」
黙っていれば、なぁ――左近は内心で盛大にため息をつく。
「昨日からご様子がおかしいと皆が申しておりましたよ。それが、そんな理由だったとは…」
「人は恋に生き、恋に死ぬのだ。俺もかくありたい…」
「あっちゃダメです。そんなことで死なれては、豊臣の世にとって大きな損失です」
訳の分らない言葉をつらつらと口から垂れ流す三成に、左近はあくまで根気強く諭す口調を重ねる。ていうか仕事して下さいよ。
「俺は皆に必要とされている。だが、だが…人が必要とするのは、俺の頭の中身だ。この俺、石田三成自身を必要とする者などこの世にどれだけいると言うのだ」
「少なくとも、左近は、石田三成と言う人間の志に惹かれてここに居ります。自棄を起こさないで下さい――左近のためにも」
なんて寒い言葉の応酬。芝居じみた左近の台詞に、三成は皮肉げな笑みを顔に乗せた。
「やはり、お前も皆と同じだ。俺自身ではなく、俺の頭の中身が生み出した志に惹かれているだけなのだろう」
「…一体、殿は何を望んでおいでで?殿は自分自身を必要とされたがっておられるようですが、殿がご自身と分離したがっている頭の中身も、殿を構成する成分の一つでしょう。それを石田三成の思考や志を必要とされる事と、殿を、石田三成を必要とされる事は、同一ではないのでしょうか?」
「だが、俺は皆に嫌われているだろう。小難しい理屈を捏ね回し、人々を、秀吉様さえも誑かし、よからぬ事を企てる奸臣だとな。だが俺が立てる計画は戦に不可欠だ。俺自身は厭われても、俺の作戦は重宝される。それでどうして俺と、俺の思考が同一だと言える?俺が嫌いならば、俺の立案も却下すればよいだろう!」
「皆がみな、殿のように物事を厳密に捉えているわけではございません。…殿は少し疲れておいでのようですな」
子供のような癇癪を起こした三成に、左近は首を小さく振った。たまにこうした思考遊戯をするのは、三成が思っているほど左近は嫌いではない。
「…殿が思うほど、この世界に住む人たちは悪いようには思えません」
「知っている。俺は、まだこの世界を放擲するほど絶望はしていない。何故なら俺は今、恋に患っているからだ」
話が振りだしに戻った。
仕事は溜まる一方で、何も進んでいない。
其の事を思い出したわけではない――何故なら忘れてはいないからだ――左近は、再度仕事へ三成の気を向けさせようと口を開く。
「殿、仕事してくださいよ」
「恋に患うのが忙しいので、無理だ」
「斯様な理由での拒否は受理出来ません。頭が留守でも手は動くでしょう、ホラ筆を握って」
「……ちっ、仕方ないから仕事してやるか」
無理矢理筆を持たされた三成は、気が進まない様子を前面に押し出して書面にやる気の無い字を書いていく。普段より間延びした字面でも、出来てるからいいや、と左近もそこは放置だ。
とやかく言えば、それを理由にサボるだろうから。
こうして、火曜日は過ぎていった。