真田幸村は、宛がわれた部屋にて、じっと待っていた。

そこへ、一人の人間が現れた。幸村はその人間の名前を呼ぶ。

 

「兼続殿…」

「すまないな、いきなり呼び立てなどして。待たせただろう?」

「いえ、待ってなど…私も、楽しみにしておりましたから」

 

いつの間にやら隣に腰を下ろしていた直江兼続は、その返答に何か、満足げとは別物が混じった笑みを浮かべる。気安い仕草で幸村の肩付近の背を叩き、「私もだ」と相槌を打った。

 

「ああ、それで今三成も来ている。折角だから三成も誘ってみるか」

「三成殿も?お会いするのは久し振りです」

 

何の屈託も無い笑顔を浮かべた幸村に、兼続も小さく笑い返してみせる。

 

「では三成をここに呼んでくる。また少し、待っていてくれないか?」

「あ…はい」

 

部屋を出た兼続を見送る幸村の背には、見慣れぬ禍々しい札が一枚。

 

 

 

「三成」

「何だいきなり改まって」

「今、幸村が来ているのだが」

「何?!」

「あぁ待て、その前にお前に少々話しておきたい事がある」

 

立ち上がって部屋の戸に手を掛けていた石田三成は、兼続の声に嫌そうな顔を向けた。

 

「…何だ、俺は今すぐにでも幸村が俺を待つ部屋に行きたいのだが?」

「その幸村の取り扱いについてだ。今日は祭りだからな…つい浮かれた行動を取りがちな三成のために、行動指針を考えてみた」

「大きなお世話過ぎて逆に迷惑だ。俺の行動は俺が決める」

 

そこまで言ってから、三成は「ん?」と思い出した風な声を出す。

 

「俺が何時、浮かれた行動を取った」

 

兼続は真顔で答える。

 

「浮かれてない時の行動を数える方が大変なくらいだ。

 さて、今日の三成の目標は…『会話を成り立たせる』と『手を繋ぐ』のどっちが良い?」

「………。兼続、貴様、俺を、馬鹿、に、してるだ ろ う ?」

「ほう、それ以上の行動が出来ると?」

 

折角考えてきたのに、とやや不満そうな表情を浮かべた兼続は、挑発するような目を向けてきた。

 

「当たり前だ!」

 

それに乗って三成は言い返す。

だが兼続はあっさりと挑発を翻した。

 

「まぁでも今日は手を握るくらいが関の山だな」

「き、さ、まぁ…っ!」

 

地獄の底から湧き出た、煮えたぎるマグマのような粘度の高い声を、三成は絞り出す。

 

「昨日に続き今日まで…!本当にお前はいつもいつもいつも…!!」

「今ここで言い争うよりも、さっさと本題に入った方がずっと建設的である、と私の頭が判断を下したのでな」

 

殺気満々で睨んでいる三成の視線が、物理的に突き刺さりそうな硬度になっているのに、兼続は涼しい顔を崩さない。

いつまでも睨みつけていても仕方が無い。睨み合いでは分の悪い三成は仕方なさそうに口を開いた。

 

「それで、本題とは何だ?」

「うむ」

 

兼続はわざと勿体つけた間を取る。

 

「今日、制限時間内に幸村と手を繋げなかった場合、私はお前の事を心の中で心から『ヘタレ』と呼ばせてもらおう」

「………。本題の前の前説とかそういうの無いのか?」

 

怒るとか、そういう感情が働くよりもまず、ツッコミが出た。

三成の言葉に、失念していた、と言いたげな顔をした兼続がポンと手を打つ。

 

「そうか私の心の中では既に下準備から後始末まで全てのプランが出来上がっていたが、三成の心にはまだ何の準備も出来ていなかったのだしな!」

「何度も言う通り、誰もがお前のように電波の送受信が出来るわけではないのだよっ!」

 

このイカ!と勢いに任せて三成は兼続を詰る。イカ呼ばわりには既に慣れたのか、兼続はそこには触れずに話を進める。

 

「分かった、では順を追って話すとしようか」

「始めからそうしろ」

「まずは我々だけで、祭りに行く」

「うむ」

「途中で私が抜ける。理由はそうだな――『慶次を迎えに行く』だな」

「…前田慶次も来るのか」

「何だその嫌そうな顔は。制限時間と言うのは、その私が抜けてから、慶次を連れてくるまでの間だ。およそ一刻もあればクリア出来るだろう」

「その間に、俺は幸村を落とせば良いのだな?」

「はは、そんな事してみろ、私は容赦なく慶次を嗾けるからな」

「けしかけるって!」

 

どういう意味だ!と三成は思わず声を上げるが、兼続は例によって聞き流した。

 

「あと、そうだ。幸村を困らせる、泣かせる、不快にさせるなどの、とにかく幸村にとってマイナスになる行動を取った場合、致し方ないが幸村ごと爆破する」

 

さらりと言ってのけたその一言に、三成も相槌を打ち掛けて、

 

「そうか…って、ばくはっ?!爆発するのか!?しかも幸村ごと?!!」

「その準備なら先ほどしてきた。悪いが、本気だ」

 

そう言って笑う兼続の目には、一片たりとも冗談の色はなかった。

 

「どうしてそこまで邪魔をするのだ…!」

「お前を応援するよりも、邪魔した方が話の展開として面白い」

「お前、面白さのためなら友達も爆破するのか?!」

「コレくらいのペナルティでもないと、三成は真剣にならないのではないかと思って…」

「俺はいつでも真剣だ!…と主張したいものだな」

「ああ、そうだな」

 

しばしの間。

ややあって、三成は思い出す。

 

「幸村に仕掛けられた爆発物は、どの程度の威力なのだ。ちゃんと外せるのか?」

「勿論外せる。威力も普通の花火程度だ。そこまで酷い事はしていない」

「そうか…ていうか、友に爆発物を仕掛ける時点で十二分に『酷い事』だろ、普通に」

 

ぶつくさ言いながらも、心の隅では三成はそれならば大事に至らなさそうだと安堵する。

威力も大した事がなさそうだし、外せるならば、後で解除してやれば良い。

だが、三成はその時点で更に追及するべきだったのだ。

 

 

 

兼続と三成の所為で、かなりの時間を待たされた幸村だが、姿を現した二人に対して嫌な顔一つせずに応対する。

 

「三成殿、お久し振りですね!」

「あぁ、幸村も息災そうで何よりだ」

 

久し振りに顔を合わせただけあって、懐かしさも一入ではある…勿論、三成の脳内に結ばれている幸村の映像に特殊効果がふんだんに使われているのは、懐かしさのせいだけではないが。

返事をしたきり、黙って幸村の顔を凝視したまま瞬き一つしなくなった三成を、そろそろ幸村が不審がる頃に、横から兼続が割って入る。(正直三成としては邪魔が入ったとしか思えなかったが、幸村は明らかにホッとしたようだった)

 

「さて、かなり時間を喰ってしまったが、今から行けば祭りも盛り上がっている頃だろう。出掛けるとするか――が、供を大勢連れて行っては、折角の祭りの雰囲気を壊してしまうな」

「ならば最低限の人数だけを、祭りの見物客の中に紛れ混ませれば良いだろう」

 

賊の一人や二人に、遅れを取る我らではあるまい。そう特に根拠も無く言い切る三成に、あまり深く考えた様子も無く幸村が頷く。

 

「お二人に何かあっても、この私がお守り致します!」

「はは、そう言われると心強いな!では行くとするか――三成?」

 

どうした?と兼続が声を掛けた先にいた三成は、花瓶の花の首をポキポキ折っているところだった。

 

「…台詞を取られたくらいで、そんなに拗ねるな」

「拗ねてなどいない!」

 

厄介な性格に磨きが掛かった友の行く末に、どうしようもなく不安を感じた……と、兼続はその日の日記にそう書いた。

因みにその日記は、島左近との交換日記である。

 

 

 

 

何だかんだと時間を喰ってしまったために、3人が祭の会場に着いた頃には日もすっかり没し、幾つも立ち並ぶ篝火が、いびつな光の輪の中で人々を闇から浮かび上がらせていた。

間近に立っている人間の顔が、ぼんやりとした輪郭を残すだけで禄に判別つかない。三人ははぐれないように、爆ぜる火の粉を払いつつ、篝火の下を選んで通る。

 

神社を中心に、城下の町を半ば以上使って催されるこのイベントは、日が没してからは濃密な雰囲気を醸し始めていた。昼間は道行く人に振舞われていた清水が酒精を帯びたものに変わったために、麹の甘く酔わせる香りがそこら中に立ち込めている。光源が篝火だけになってからは、人目が届かぬ陰の部分も増え、雑踏を行く人たちの喧騒の中、良く耳を澄ませると微かに嬌声が聞こえてくるようだった。

流石に中心部の、今宵の主催者たる神社の付近ではそういった夜の顔は鳴りを潜め、煌々と辺りを照らし出す光源の数も増えている。参加者を目当てに集まる商人の広げる品々の内訳も、薄暗いところに並ぶものと違い、酒や肴、あるいは菓子といった無難で健全なものが多い。

この辺りならばそうトラブルに巻き込まれる頻度も減るだろう。城下の町を抜けて神社の付近までわき目も振らずに直進してきた兼続は、後続して来た三成の姿を認め、彼の後ろを歩いてきた幸村と、目が合わなかった。彼の姿がない。

 

「あれ、幸村が来ていない」

「何だと!」

 

兼続の言葉に勢い良く振り向いた三成も、出発した時には自分の後ろを歩いていたハズの幸村がいない事を確かめる。

 

「どこかではぐれたか」

「そう悠長に言っている場合か!」

 

捜しに行かねば…!と三成は元来た道を引き返し始めている。兼続も、三成が雑踏に姿を消す前に、見失わないように後を追った。

 

「幸村ぁー!返事をしろ!」

「…三成、そこまで大声を出さなくとも」

「何を言う!貴様も大声を出して我らの存在を幸村に示すのだ!」

「その必要はない。幸村に張った札からの波動を辿ればすぐに分かるのだから」

「………そうかそれならばそうと早く言えよホント兼続ったら人が悪いなあもう」

「いや、大声を上げて人を捜す三成など、そう滅多に拝見できないからな。貴重な姿をありがとう」

「くそう、大声で恥ずかしい奴らの仲間入りを果たしてしまった…」

「何、いずれは誰もが通る道だろう。それが早まっただけの事だ」

「それは、なしだろ」

 

兼続が札の波動(本人はそう言ったが、三成にはいまひとつ良く理解できない)を辿りつつ、二人は元来た道を逆行する。

幸村は、人の流れに取り残されたように、篝火を支える土台の足元で所在なさそうに立ち尽くしていた。戻ってきた二人の姿を見つけ、ぱぁっと顔が明るくなったのは、多分灯りの下にいるからだ。

 

「兼続殿、三成殿…!」

 

近寄ろうと人の流れに足を踏み出す幸村。途端に逆行する人の波に呑まれ、押しのけたり避けたりすれば良いのにそれも出来ず、あっという間に二人の視界の外へ押し流されてしまった。

 

「…成程、ああしてはぐれてしまったのか」

「いや感心してる場合と違うだろ?!幸村ぁー!待ってろ父ちゃん今そこに行くからなぁ!!」

 

冷静に観察して頷いている兼続の横で、キャラを大きく間違えた三成が果敢に人の波に飛び込んでいく。

 

 

そうした事を何度か繰り返し、遂に三人は再会を果たした。

 

 

「すみません、何度もご迷惑をおかけして…」

 

すっかり恐縮してしまった様子の幸村に、三成が何か言う前に、兼続が何も言わずに幸村の手を取る。俯いていた幸村の目線が、兼続の柔らかい眼差しと出合う。

 

「こうすれば、もうはぐれずに済むだろう?」

「…はい」

「こうして手を引いて歩くのも、子供の頃以来で懐かしいものだ。なあ?」

「こ、子ども扱いはもう止して下さいよ…」

「人混みも満足に歩けずに、何を言う。まぁ、ここを抜ければもう少し歩きやすい。そこまで先導しよう」

 

兼続はそう言って、幸村の手を引いて行こうとする。その兼続の手の上に、ぴしゃりと扇が些か乱暴に置かれた。叩かなかったのは、兼続の手の下に幸村の手があるからだ。

 

「…何をするのだ」

「それは俺の台詞だ、兼続。貴様、抜け駆けは禁止だろう?!」

「抜け駆け?私とお前の間に、一体いつ、そのような取り決めがあったかね?」

「俺と幸村の恋路を邪魔立てしておいて、自分は抜け抜けとよくもそのような不義を…!」

「友がこれ以上はぐれぬよう、先導するだけの事ではないか。この程度、不義でも何でもないだろう」

「幸村と手を握って祭りを歩く行為は立派なデートだ!それは認めぬ!」

「…そうか。しかしそれはお前と私の見解の相違というものだ。私の中ではこれしきの事ぐらい、デートではないと見るね」

「こ、これしき…!はっ、まあそうだなこれしきの事ぐらい、俺にも出来るのだからな!友を先導すること くらい…っ」

 

小声で言い合ううち、段々泣きそうな顔になってくる三成を見て、兼続は(あんまり可哀相になったので)こちらから折れることにした。

 

「そうかでは、三成に頼むとしよう。はいこれ」

 

ごく自然な流れで、兼続が握っていた幸村の手が三成の手の中に移動する。

いきなり自分の手の中に発生した他人の体温に、三成が予想以上にうろたえた。

 

「えっ、ええ!?はいこれって、え、嘘マジで?!」

 

初めて赤ん坊を任されたお兄ちゃんみたいな三成に、留守を頼むお母さんのような表情で、兼続はミッションを告げる。

 

「頑張って幸村を先導して来い。私は先に神社へ行って慶次と合流するから」

「あ、そうかそういう設定だったな」

 

思い出して、三成は冷静さを少し取り戻す。後ろでは、三成と手を繋いだままの幸村が、事の成り行きが終わるのを待っていた。基本的に会話や話の流れから取り残される事が多い幸村は、自分に話が振られるまで待つのは得意だ。

 

「では幸村、私は慶次とも約束しているのでそちらに向かう。慶次と合流できたらこちらに戻るから、それまで三成といてくれ」

「あ、はい。分かりました」

「三成もちゃんと『会話を成り立たせ』るんだぞ?」

「言われずとも俺は上手くやって見せる」

 

もう行け!と三成は邪険な態度で兼続を追いやった。

後ろを見れば、幸村がいる。

 

「では、参りましょうか。三成殿」

 

幸村がいる。

 

「あ、あぁ…そう、だな」

 

手を握る手に、力を込めた。

 

 

 

しかし実際、人の手を引いてこの混雑の中を歩くのは想像以上の困難さがあった。

加えて三成には、このようなシチュエーションに対する経験値が足りない。自分が通れる隙間に強引に割り込もうとすれば、後ろ手に引っ張っている幸村が引っ掛かって結局二人とも通れなかったり、三成が避けた人に幸村がぶつかって、流されそうになるのを引き止めたりと、一人と二人の勝手の違いに難儀する事が多々あった。

 

「戦場ではこれしき、吹き飛ばす勢いで進んでいるだろう!」

「はい…でも、ここにいるのは市井の方ばかりですから…」

「ここも、戦場と変わりあるまい。むしろ貴様の場合は、敵兵に向かうくらいの気迫が必要のようだな?」

「…努力します」

 

思った通りに行かないのは、幸村の所為ではない。なのに三成は内心の苛立ちを、後ろを歩く幸村にぶつけていた。歩き始めた頃はまだ歩調の軽かった幸村だが、今は三成にただ引き摺られているような、重たい足取りである。立ち止まって、一息つかせてやるべきなのだろうとは、三成も分かっていたが、今更どのタイミングでそう切り出せば良いのかが分からない。幸村も、自分からは弱音を吐くような真似はしない。

ただ黙々と進む二人の間から、いつしか表情もなくなりつつあった。

 

 

 

漸く人の流れが激しい所を抜け、散策する人々もまばらな場所までやってこれた時には、互いに人疲れと思うように進まないストレスとで、疲労困憊して言葉も出ない状態だった。

三成は、移動の間ずっと幸村の手を握りっ放しだった事に気が付く。

幼い頃から武芸に親しんできた幸村の手は、肉刺が出来てはそれを潰すことを繰り返してきた、三成の、他人の手が馴染まないほどに硬くなっている。それは生粋の武人の手だ。

革製品のように血が通っていないかのように見えて、握る手には確かに体温が伝わってくる。指先の、血管が皮膚の直ぐ下を通っている所からは、幸村の鼓動も分かる。

きっと幸村にも、三成の体温と鼓動が伝わっているのだろうか。普段は筆と箸程度しか持たない三成の手の皮膚は薄い。熱や鼓動が伝わるのはきっと早いだろう。

 

そこまで考えて、三成は幸村の手をきつく握り締め過ぎている事に思い当たった。指先から鼓動が伝わるのは、そこの血管を圧迫しているからだ。熱が伝わるのは、そこが鬱血しているからだ。

それでも手を離すのは名残惜しい気分で、三成は手を離す。

 

「――もう、俺が手を引かずとも良いだろう」

「ありがとう、ございました」

 

散々引っ張られて揉みくちゃにされても、幸村は小さく笑顔を作って礼を言う。それに三成は軽く顎を引いただけで、言葉にして返さなかった。

気が付けば辺りに人の影もなく、遠くの喧騒がまだ祭りは終わらない事を知らせるだけになっていた。

ゆっくりと漂ってくる沈黙。

目の前には、おそらく三成の言葉を待っている幸村が一人のみ。

これは――もしかすると。三成は、焦るな、と己に言い聞かせる。何事も手順というモノがある。

 

「嫌いになったか?」

「え?」

「俺は正直、こんな風になるなど、と、思わなかった…だが、お前がどう思おうと、俺は、」

 

言え、石田三成!

 

「俺は、」

 

たった一言だ。どうしてたかが言葉に躊躇する?

 

「好き、なのだ。どうしようもなく。…こんな事、馬鹿げていると思うだろう。だが、本気だ」

 

 

本気で好きなんだ。

 

 

言葉だけでなく、声が、目が、全身が。目の前の男に思いを伝えている。

言われた幸村は、しばらく言われた言葉の意味を咀嚼するように黙ってしまった。

それは、ほんの僅かな時間に過ぎなかったが、三成にとっては永遠に続く拷問のような、苦痛を伴う時間だった。

ややあって、幸村は静かに微笑んだ。それを見れただけでも、思いを伝えた甲斐があるというものだ。

 

「私も、好きですよ」

 

その時の三成が受けた感動は、衝撃に近いものがあった。

全身の細胞が沸騰し、破壊され、また新たに作り変えられていく膨大なエネルギーを、一気に濃縮したような、眩い光が胸の中を満たしていく感覚。過剰なエネルギーが、体温の上昇と心拍数の増加を引き起こし始めている。

打たれたように立ち尽くす三成の目の前で、幸村は言葉を続ける。

 

「三成殿は、お嫌いかと思っていました…でも、良かった。私と同じで」

「幸村…」

 

比喩ではなく熱に浮かされて、うわ言のように名前を呼ぶ三成に、幸村ははっきりと言った。

 

「三成殿も、お祭りが好きだったのですね!」

 

また、来年も行きましょう!そう元気良く続く言葉を、三成は聞いていなかった。

急激に叩き込まれた情報の落差に、情報処理機関がオーバーヒートを起こし、口から泡を吹いて倒れたからだった。ただ、意識が暗転する前に、ぶっとい大事な何かが、体のどこかでボキンと折れた音だけは、はっきりと聞こえたという。

思わず三成を抱き止めた幸村は、その体が発する熱に息を呑む。

 

「こんなに熱が…!」

 

急いでどこかで休ませねば。軽々と三成を抱き上げた幸村は、取り敢えず兼続がいるだろう神社へと向かった。

さっきまであれほど人の波に浚われていた人間と同一とは思えないほど、幸村は戦場での武者振りを発揮して最短時間で神社へと着く。

果たしてそこに兼続はいた。三成を抱えて飛び込むようにやって来た幸村を見て、一瞬ぎょっとした顔を作るも、事情は何となく飲み込めた風だった。

 

「兼続殿!三成殿が、急に熱を出して倒れてしまったのです…!何か、悪い病の類なのでしょうか?」

「あぁ、まぁ、病の類には違いない。だが、心配は要らない」

 

三成の身を案じているのか、不安そうな表情をした幸村に、兼続は冷静な声音で応じた。

 

「一晩も寝れば治るだろう。…だが、休ませる場所が必要だな」

 

城に戻るか。そう言った兼続に、幸村は頷いた。

 

 

 

 

三成が目を覚ましたのは、翌朝…ではなく、次の日の夜だった。

まず目に飛び込んできたのは、心配顔で覗き込んでいる幸村の顔で、それによって気を失う前の一連の場面がフラッシュバックした。また失神しそうになるのを堪え、のろのろと体を起こす。

負け戦の次の日のような、最悪の目覚めだ。幸村が傍にいてくれるのが、心強い反面、思い知らされた事実を否応なしに突きつけられている。

三成が起きた事を伝えに、幸村が部屋を出て行くのを、どこかホッとした気分で見送る自分は、とても最低な人間だ。幸村の、自分に対する評価は何も変わっていないのに、こっちが勝手に期待して、勝手に失望しただけだという理由で、何となく同じ空間での居づらさを感じてしまう。

入れ替わるように、兼続が入ってきた。彼は三成を見て開口一番、こう言った。

 

「だから言っただろう」

「…俺は、まだ、諦めたわけではない」

「顔が既に敗者のそれだぞ、らしくもない」

「これは、戦略的撤退だ。敗北ではない」

 

下手な慰めを受けるよりも、挑発される事によって、顔が精彩を取り戻してくる。

 

「大体、幸村は俺のことを好きだと言ったわけではない。これは認めよう。だが、嫌いとも言っていないのだ。まだ、勝機はある」

「そうだな」

 

…そこで否定が来るものと見做して反論を構築していた三成は、何の気もなく肯定する兼続の言葉に耳を疑った。

 

「一晩、気を失っていたお前をずっと看ていたのは、他ならぬ幸村だからな。完全に脈なしと断じるには時期尚早かもしれん」

「幸村が、俺の事をそこまで…!」

「単に、目の前で熱出してぶっ倒れた人間を、途中で放り出すのが出来なかっただけとも取れる」

「貴様…!一度、本気で決着をつける必要がありそうだな…?!」

 

生涯の友にして、最大の敵たる兼続の顔を、陥没させるほどの質量で睨みつける三成。

顔を見ていて思い出した。

 

「そうだ、幸村の爆発物!あれはどうなった?」

「あ、忘れていた。まだ外していない」

「早く外してやれ!」

 

いつもの調子を取り戻した三成は、兼続が部屋を出て、丁度幸村と出くわしたらしい会話を聞いていた。二人の影が、障子越しに透けて見える。

 

「あ、幸村。ちょっと良いか?」

「はい?どうしましたか」

「いや、何でもない。肩に何かついていたよ。今、取った」

「あ、これは失礼しました…ありがとうございます」

 

そこで兼続の影が、何か――彼が仕掛けた爆発物を、庭に向かって放り投げるのが見えた。

それは庭の池に着水し、瞬間、閃光と爆音が辺り一帯を埋め尽くす。

遅れて水柱が上がり、衝撃波が障子を吹き飛ばし、呆然とした表情(だろう、多分。顔が庭に向いているので三成には分からない)を浮かべた幸村と、平然とした表情(だろう、多分。以下略)の兼続が立っているところに池の水が雨のように降り注ぐ。三成のいる部屋も、少なからず池の水で濡れた。因みにここは三階だ。

階下で騒ぎが起きているのが聞こえる中、兼続が呟く。

 

「思いの他、威力があったな…」

「思いの他、ではないだろうがっ!」

 

布団から飛び起きた三成は、兼続に食って掛かる。

 

「あんなものを良くも幸村に仕掛けられたな!」

「あれは安全性には十分考慮して作られている。だが、水に濡れる事によって指示式が乱れ、あのような大爆発が起きたのだろう。やはり耐水性が問題か……」

「設計ミスを棚に上げるな!お前の札は、人体に貼るな!」

「いや、次こそ必ずや絶対安全な起爆札を作って見せる!その時こそが、義の勝利だ!」(ギー!)

「信用なるか!」

 

良い合う二人の横で、未だ呆然としたままの幸村が呟くのを、誰も聞いていなかった。

 

「あれが、私に今まで付けられていたのか…」

 

 

 

 

三成の日曜日は、知らぬ間に終わっていた。