この世は乱世――

弱者と強者が存在し、弱きは奪われ、強きは奪う。

だが、その強者すらも、弱者から奪う事しか出来ぬ『弱者』なのだ。

 

 

「あぁ、可哀相に…」

 

 

白い、異常なほどに白い頬に涙が伝う。

瞬間、白刃が閃き小汚い風体の男数人が悲鳴と共に地面へ転がった。男たちに囲まれていた、赤子を抱いた女は恐怖に顔を引き攣らせ、礼を述べることなく立ち去ってしまう。

その背に一太刀くれてやろうかと思ったが、斬っても詰まらぬと思い直して無造作に、赤の滴る刀をだらりと下げた。

小汚い男たち――海辺の村を襲う海賊の一味は、地面に転がったきりぴくりとも動かない。

『キレイ』に斬ってやったのだから、苦痛も一瞬だろう。

だがまだ、いる。

海賊稼業は今が稼ぎ時なのか、集団でこの村を襲った。この村にいたのは偶然だったが、これがまた詰まらない。斬っても斬っても沸いてくる海賊どもはどれもこれも有象無象で、やはり『弱者』であった。そんな海賊に村を蹂躙されるがままの村人たちも『弱者』。

 

 

「何て、可哀相なんだろう」

 

 

また白刃が陽光に輝いて、乾いた砂の地面を命で潤す。

ここに『強者』は存在しない。

この先もずっとあがき、苦しみ、生き永らえ続けることに耐えられない『弱者』ばかり。

彼らの生を終わらせて、その苦しみから解放してあげなきゃいけない。

生きている彼らは『可哀相』だ。

 

 

「だから、僕が、終わらせてあげるよ――」

 

 

 

 

 

佐々木小次郎は、今し方斬って捨てた男にそう言って、とても優しく微笑んだ。

 

 

 

 

第一章 海討伐戦 side/小次郎

 

 

 

 

この村には、度々海賊がやって来るらしく、村もそれなりに自警団を用意してあるらしかった。しかし、圧倒的な物量と、何より荒事慣れしている海賊ども相手に、村の青年が武器を取った程度ではとても太刀打ちできない。海賊の中には、落ちぶれた武者も一味に加わる場合が多いのだ。

小次郎は単純な戦闘能力の差から見て、そんな民兵よりも海賊を斬る方が満足感を得られると判断した。しかし元より村を救おうなどとは毛ほども考えていない。太刀を振るう先にいるのが、民兵より海賊が多いのも、数の差に因るところが大きいだけのこと。

小次郎は純粋に殺戮を楽しんでいた。死に物狂いで抵抗してくる海賊が、なまくら刀でこちらに切り結んでこようとするのを、鼻先で一蹴して腹から深く裂いてやる。

返す刀でその背後、手にした武器を振るうことも出来ずにいた男を肩口からずっぱりと削ぐように叩き込んだ。

人を上手く斬ることには、もはや何の感慨も沸かない。

何時から手にしていたかも忘れたこの太刀は、持ち主のあまりに真っ直ぐな狂気を反映したか、またはあまりに命を喰らい過ぎたためか、幾度人を斬っても刃毀れせず、折れもせず、打ちたて同様の冴えた光りを失わない魔剣と化した。

異相の剣士は、いっそ穏やかな表情で人に死をもたらす。

彼に斬られた者は皆、苦痛から解放されたように安らかだ――少なくとも彼にはそう見えた。

だから、もっと多くの人を解放してあげないと。

 

「僕がもっと斬ってあげなきゃねぇ…」

 

小次郎は、彼の魔剣同様、幾度人を斬っても汚れ一つ無いキレイな顔で、また一人斬った。

 

 

 

 

小次郎の他にもう一人、たまたまこの村に立ち寄った者がいた。

長い黒髪を束ねた、一見して少女と見紛うばかりの美少年。どこか名門の出であるかのような風体は、こんな辺鄙な田舎ではとても目立つ。

彼は海賊に襲われるこの村の窮地に、正義感を以って人々の助けになろうと太刀を振るっていた。

 

 

 

 

 

「――君は違うみたいだ」

 

村の至る所が戦場であったために、小次郎はその美少年と出会うことはなかった。しかし、『用心棒』の先生方を片付けていた少年がいた船に、小次郎が一足遅れてやって来たために、二人は顔を合わせる事になった。

 

「…私は、この村の者でも、まして海賊でもありませんから」

「知っているよ。でも僕が言いたいのはそれじゃない」

「!?」

 

小次郎は瞬時に互いの距離を詰めると少年の喉へ正確に切っ先を押し当てた。息を呑むことさえ出来ず、少年の見開いた目は白面の剣士の顔をただ鏡のように映すだけ。

 

「君は、弱者でも強者でもないね…君は、誰だい?」

 

つぷ、と赤い膨らみが切っ先を押し当てられた少年の白い肌から盛り上がる。殺されてもおかしくない状況で、事もあろうに少年は静かに眼を閉じて、体の力を抜いた。

 

「答えない…いや、答えられないかい?」

 

彼の態度に、小次郎は一度、からかう素振りを見せて刀を退いた。そのまま自分たちの背後から奇襲を掛けようと忍び寄っていた海賊を斬り殺す。流石に目を開いた少年の目の前に小次郎は顔を寄せた。

 

「君が誰でも別に僕は構わない。でも、僕らは非常に近しい存在だ」

「………」

「案外、生き別れた兄弟だったりしてねぇ?」

 

な、と少年の口が開き――堅く閉ざされたかと思うと、また何か言おうと口を開いてまた閉じた。

明らかに狼狽した様子の少年に、くすくす、と笑いながら小次郎は殺戮の場へと戻る。

少年は暫く、その場を動けずにいた。

 

 

 

 

船の上でも大いに殺戮を楽しんでいた小次郎は、もう一人、海賊とも民兵ともつかぬ者を発見した。

二振りの刀を自在に操り、海賊を倒していく男。

『天下無双』を背負うその姿は、初めは滑稽にも映った。

だが彼の強さは本物だ。

彼は『弱者』でも『強者』でもない。

彼は――

 

 

 

 

海賊との乱戦の中、小次郎は男と背中合わせに太刀を振るっていた。

 

「君、強いね」

「あぁ、俺の剣は天下無双だ」

 

褒められても気負う風でもなく、むしろぶきらぼうな口調で男は答える。

ふぅん、と小次郎は笑みを深くした。

 

「僕の名前は佐々木小次郎」

「俺は宮本武蔵だ。アンタも、中々強いな」

 

武蔵は、小次郎が自分の背後で剣呑な笑みを湛えたままなのに、まだ気付いた様子もない。

 

「…武蔵、か。覚えておくよ」

 

海賊はわずか数名相手にも劣勢となったこの状況に困惑しているようで、早々に船へ戻り始める者もいた。

目の前で獲物に逃げられて、指を咥えて見送るほど、小次郎はお人好しではない。

皆殺しは難しくとも、頭目の首くらいは獲れるだろう。手近な海賊どもから次々と斬って行きながら、頭目が逃げた船を追う。

 

 

 

 

 

 

その頃、海賊に村が襲われていることを聞いた徳川軍配下・本多忠勝の娘である稲姫が、数名の供を連れて現れた。この村は、徳川家が治める土地一帯に存在する。そこで狼藉を働く者どもを看過することは出来ないが、大軍を差し向けるほどでもない。そこで、稲姫が自ら志願して海賊討伐に出向く事になったのだ。

彼女たちは、自分たちより先に何者かがこの村で海賊相手に戦っているのを見た。

 

 

 

 

 

普通の太刀よりは刃渡りが長い、長刀、と呼んでも差し支えなさそうな業物を手に、草を刈るような軽さで海賊を斬っては捨てて行く異様な風体の男。

その白い顔はとても楽しそうで、傍目にもその禍々しさは伝わってくる。

 

「あの者よりも早く、海賊の頭目を捕らえましょう」

「はっ」

 

あの男、放置していたら危険だ――稲姫は、愛用の弓を手に、凄惨な鉄の匂いが充満する戦場へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

どうやら、正規の軍もお出ましになったようだ。

海賊どももあらかた片付いてしまい、事態は収束に向かっている。

正規軍…といえど、本格的な軍隊がやって来たわけではなく、少数精鋭で事に当たるつもりらしい。

海賊なんかよりも、そっちを斬った方が斬り甲斐もあるだろうか。

小次郎は、僅かな手勢を引き連れた若い女に近付いた。

 

 

「あ、あの禍々しい男です!見つけました!」

「そう言われるのは慣れてるよ――何でか知らないけど、みんなそう言うんだよねぇ」

 

自分はこんなにみんなを解放するために頑張っているのに。

不機嫌そうな声音と裏腹に、新たな獲物を前にした小次郎は、むしろ上機嫌で太刀を掲げた。

 

「貴方は、海賊を退治しに来たのでしょう?!」

 

女は弓を小次郎へ突きつける。

 

「ならば、このような事をしている場合ではありません!」

 

真っ直ぐな眼差しをした、気の強い女だ。

弓を突きつけられた小次郎は、さも可笑しそうに笑う。しかし掲げた太刀は降ろさない。

 

「そうだね。僕は今、ちょっとだけ機嫌がいい。君たちの遊びに付き合ってもいいよ」

「遊びなどでは――!」

 

ふざけている、と思われただろう。海賊討伐なんて、遊びで出来る事ではない。

 

「遊んでなんかないよ。僕は真剣に彼らを解放しようと思っている。

 彼らは、生きるのに必死だ。苦しんで、あがいて、奪ったり、奪われたり――見ていて可哀相だよ。だから僕は、彼らがこれ以上苦しまないように、楽にしてあげているんだ」

 

 

どうして、そこまで必死に生きようとする?

そこまでする価値のある人生なのか?

そして最後に何を得るのだ?

 

昔から、不思議で仕様がなかった。

 

 

 

「君たちだって、そう思わないか?君たちよりも弱い者を殺している君たちも、彼らが可哀相に思ったりしないのかい?彼らは死んだ方が楽になれるんじゃないかって」

「貴方は…っ!よくもそんな事を!」

 

女は言葉を失くした様に、或いは怒りが喉元まで込み上げてきたかのように、絶句した。

 

「そんな怖い顔しないでよ。残念だけど、この事で僕たちは意見が合わないみたいだね」

 

蒼い顔をしたまま、こちらを睨み付けてくる女に小次郎は背を向けた。顔だけ振り返る。

 

「僕を殺すかい?君たちに出来るかな?」

 

まるで笑っているように、口は左右に吊り上っているが、目は本物の狂気を湛えている。女の背後に立っていた護衛の武将たちは、下ろしていた武器を思わず構えた。

 

「――止めなさい」

 

女はようやく、といった風に制止の言葉を口にした。

 

「彼を、攻撃してはなりません」

「しかし…!」

「彼は言いました。海賊討伐に付き合う、と…。ならばここで諍いを起こしても何の特にもなりません」

「…承知しました」

 

それでも渋々、といった様に、武将たちは構えを解く。

 

「そうだ、海賊の頭目、海へ逃げようとしていたよ。早く追いかけないとね?」

 

小次郎はわざとらしく首を傾げて、海、海賊たちが乗りつけて来た船を指した。

 

 

 

 

 

頭目が逃げ込んだ船の上で、小次郎はあの少年を見つけた。

彼はこちらの姿を見つけると、何故か顔を強張らせて奥へ走り出す。避けられるのは慣れているが、こうも露骨に逃げられたのは初めてだ。

走り出した少年を追うと、彼は心なしか走る速度を速めた。

 

「何で逃げるんだい?」

「そちらこそ、何で来るんですかっ」

 

少年はうっかり叫び返してしまったようで、はっとしたようにまた前を向いてしまう。

 

「そうやって逃げていると、思わず追いかけたくなっちゃうじゃないか。

 そーら、もう少しで追い付くよ…」

「ひっ…!」

 

怯えた様子の少年は、彼の更に先を行く男に助けを求めるように声を上げた。

 

「そこの方!」

 

振り向いたその男は、武蔵だ。武蔵も、走ってくる少年と、彼を追いかけている小次郎を見つけ、やはり顔を引き攣らせた。

 

「ばっ…!なっ!く、来んじゃねえ!」

 

そして武蔵も先ほどよりは速度を上げて走り出した。

 

「何で、逃げるのかなぁ?ねえ、追い付いた方から斬ってもいい?」

「えっ、そ、それじゃあ私のほうが先じゃ…?!」

「それなら、僕より早く走りなよ?追い付いたら斬るからねぇ?」

「ぅわあ、目が本気だこの人…!」

 

 

 

命がけの鬼事は、頭目を発見するまで続いた。

 

 

 

頭目は、思った以上にあっけなく敗北し、多くの部下を失った痛手もあって暫くは村を襲わないだろう。

逃げ去る海賊を見やって、やれやれ、と一息つく武蔵に、小次郎は何も言わずに斬りかかった。

咄嗟の動作で剣を掲げてそれを受けた武蔵は、鍔競り合う太刀の向こうで歓喜に顔を歪めた男を見た。

 

「武蔵!やっと見つけたよ――君は、『弱者』でも『強者』でもない、僕と対等の存在だ」

「何を言って…?!」

「さあ、殺し合おう」

 

こいつは人の話を聞く耳をどこかに置き忘れたらしいな…楽しくて仕方ない、と言うように笑顔で、しかし殺気を隠しもしないで太刀を振るう小次郎に、武蔵は応戦で手一杯になりながらもそう思っていた。

 

「君を見ていて思ったんだ…君となら『殺し合い』が出来るんだって」

「殺し合い…?」

「そう。今までいなかった。でも君は違う。君となら殺し合いが出来る。剣を持っているなら分かるだろう?剣は殺すための道具だ」

「違う!俺の剣は人を活かすための剣だ!」

「人を、活かす?」

 

反射的に叫び返した武蔵の言葉に、小次郎は一瞬、虚を突かれたような顔をした。

 

「活かす?人を?――何を言っているんだい?」

「今は、まだ、見せられねえ…だけど、必ず見せてやる!」

 

小次郎から距離を取った武蔵は、指を突きつけた。小次郎はまだ、動こうとしない。突きつけられた指先をじっと見ている。

 

「必ずだ!」

「――いいよ、待っててあげよう。その人を活かす剣とやら、楽しみにしているよ」

 

完全に興が削がれた様子で小次郎は太刀を納めた。

 

 

武蔵が去ってもしばらく、小次郎はその場に立ち尽くしていた。

 

 

 

小次郎に仕官の話が持ち上がるのは、その直後。

海賊討伐に赴いた本多正信の報告を聞いた徳川家康が、彼に小次郎を召抱えるよう命じたのだ。

 

 

 

 

村からこっそりと立ち去ろうとしていた少年を、小次郎が目敏く見つける。

音も無く忍び寄り、ぽん、と背後から肩を叩くと少年の顔が引き攣る。

 

「ど、どうしてここまで…?」

「君がまるで逃げるみたいに立ち去るのを見かけたからね。

そう言えば、君の名前を聞いてなかったね。僕は佐々木小次郎って言うんだ」

「あ、申し遅れました。森蘭丸と申します」

「蘭丸、か。僕たちは、これから長い付き合いになりそうだね?」

「は、はぁ…そうでしょうか」

「また一緒に敵を斬ろうね♪」

「………はい」

 

 

大変な人に目を付けられてしまった、可哀相な二人がこの日誕生した。

 

 

 

2007.11