実力テスト
学校の掲示板の前で、幸村が見つけたのは受験以来聞かなかった単語だった。
B大学の法学部。
散々周囲から無理だと止めろと諭されても、断固として曲げなかった進路。受かった時は周りを気にせず雄叫びを上げて、付いてきてくれた佐助に真っ赤な顔で怒られた(その後でちゃんと、「良かったねダンナ」と褒めてくれたし、夕飯も豪勢なのが出た)。
そこまで幸村が頑張るのには、とある目的の為だ。
この実力テストも、その目的達成の為の第一歩。幸村は全力で立ち向かう事に決めた。
テストの次の日、結果が出た。
「…某、補習でござる…」
テストの成績が芳しくなかった者は、授業の後の補習に出席しなければならない。
あんなに頑張ったのに、と肩を落とす幸村に、結局同じ学校の同じ学部だった伊達が「ふーん」と相槌を打つ。
「That’s a pity. ま、頑張ンな」
「伊達殿は補習ではござらぬのか?」
「Hey…俺の名前は無かっただろうが。You see?」
「もッ…申し訳ありませぬ!」
片目を凄ませて睨む伊達に、幸村は思わず本気で謝った。場所が学校のロビーだったので、周囲の目が二人に集まる。ちっ、と舌打ちして伊達は顔を逸らした。幸村も背を丸めて項垂れる。周りは何でもなかったようにまた無関心な背景に戻った。
そして、暫くその場に項垂れていた幸村の腹が、情けない音を出した。伊達の呆れたような声がする。
「…Are you hungry?元気無ェのはそのせいか」
「…その様でござる」
時間が昼時だったので、学食に顔を出してみようと案内板の前に行ってみる。今年入学したばかりの幸村はともかく、伊達も久しぶりの校舎なので、構造が分からないようだ。
「あ、毛利殿!奇遇でござるな」
どうやら毛利も同じ学校だったようだ。目敏く見つけた幸村が掛けた声に、彼は案内板を見ていたのをやめてこちらを見た。
「真田と伊達か。こんな所で何をしている」
いかにも二人がいるのが場違いだと言わんばかりの口調で、毛利が素っ気なく言う。伊達が噛み付くように返した。
「What?居ちゃあ悪ィのかよ」
「我々はこれから食堂へ向かうところでござる。毛利殿も良ければ一緒に行かぬか?」
単純に何をしている、の部分を聞かれたと思った幸村は、険悪な雰囲気に気づかないで普通に返す。毛利が、理解出来ない生き物を見るような目つきで幸村を見た。
「この時間は殆どの者が利用しているから、席など空いておらぬ。行くだけ無駄であろう」
「む、それは参ったでござるな」
「どーすンだ真田。どうせ午後の授業は無ェし、帰ってメシにするか?」
「むう…」
確かに学校とアパートメントは歩いて帰れる距離にある。帰るのも一つの手だ。しかし、幸村はどうしても学校での食事が食べてみたかった。
悩むと…というか、考え込むと一切の動きが止まってしまう幸村を、伊達と毛利はどうしたモノかと再び動き出すまで眺める。
そこまで気が長くない二人が早々に飽きだした頃、ようやく幸村がフリーズ状態から脱する。
「――まずは食堂で様子を見てから決めたいでござる。今ならそろそろ人も居なくなる頃でござろう」
「OK. なら話は早ェな。さっさと行くぞ、モタモタしてっと学食が閉まるぜ」
「ふん…我の忠告も無にするか。――手を放せ伊達。我は一人でも歩けるわ」
幸村の言葉の半分くらいの所で伊達が先に歩き出す。彼に鞄の紐を引っ張られて後ろ向きに歩かされている毛利が、迷惑そうに言い放つ。言い出しっぺのハズなのに何故か置き去りにされた幸村は、二人を慌てて追った。
「二人とも待って下され!某まだこの校舎の構造を把握していない故、置いて行かれると迷ってしまう…!」
しかし、二人が立ち止まってくれることはなかった。
時間を外して来たためか、食堂の混み具合は半々といった所だった。
券売機で食券を買い、カウンターで受け取る方式で、まだ何人か順番待ちをしている。幸村たちも列の後ろに並んだ。
一人減り二人減り、そして幸村の番。どれにしようか券売機の前でまた悩む幸村に、後ろに並んでいた伊達がドスの効いた低い声で言う。
「テメェなあ、決めてから並びやがれ。後ろつっかえてンじゃねェか」
「む、すまぬ!…では」
そば定食のボタンを押す幸村(好物はそばだ)。出てきた券と釣り銭を手にしてカウンターへ向かう幸村の後ろで、さっさと選んでボタンを押す伊達。毛利もさして悩まずボタンを押す。
食堂の空いている席を見つけて定食の載ったトレイを置いた幸村は、二人が来るのを待つ。そばつゆの良い匂いが空の胃袋を刺激して、内臓が動く感触がした。早く来ないかとカウンターを見るが、二人ともまだそこから動く気配がない。
膝の上に両手を置いてじっと堪えていると、伊達が来た。
「先に食ってりゃ良かったのに」
俺ならそうする。とわざわざ待っていた幸村に言い、向かい合う位置に座る。
「食事は、皆が揃ってから食うものでござろう」
「そういうモンかね…いただきます」
会話をしながら、伊達はごく普通に箸を取って食べ出した。「まだ毛利殿が…」「いーだろ別に」言い合う内に毛利が来た。彼は伊達の左隣に座る。まだ自分のトレイに手を付けていない幸村を見て、声を掛けた。
「どうした真田。早く食わぬと食堂が閉まるではないか」
「…全員揃ってから食べようと思ったのでござるよ」
それが当たり前だと思っていたのだが、幸村の言葉に毛利まで首を傾げた。
「準備が出来た者次第、食べていく方が効率的ではないか」
そして毛利も言いながら、いただきます。と勝手に箸を取って食べ始めた。何か釈然としないものを感じながら、幸村も「いただきます」と箸を取る。
最後に食べ始めたはずの幸村が、何故か一番に食べ終わった。
「ここの食事は量が少ないでござるな。まだ食い足りませぬ」
「Are you serious?普通に一人前で十分だろ」
「……」
まだ食べ終わっていない伊達と毛利は、まだ何か食べに行こうと立ち上がる幸村を信じられないモノでも見たような顔で見送った。
結局幸村は昼飯に、そば定食の他、醤油ラーメン(並)とアンパン(+牛乳一瓶)を食べた。
学校と、幸村たちが住んでいるアパートメントを結ぶ道の途中に、駅がある。三人は駅周辺の商店街を抜けて登下校することになる。
午後の授業がないので、昼過ぎの商店街を幸村たちは歩いていた。
そして、その店を見つけたのは幸村だった。
「伊達殿、毛利殿。某は用を思い出した故、先に帰っていて構わないでござる」
「Ah?何だよ用事って」
立ち止まってそんなことを言う幸村に、わざわざ振り向いたのは伊達だった。釣られたように毛利も足を止める。
伊達の隻眼と毛利の両目は携帯ショップを映していた。幸村の声。
「某、携帯電話を未だ持っていない故、ここで少し見ていこうと思うのでござる」
「…携帯持ってなかったのか?今時rareな奴だな」
「ふっ…」
伊達には呆れられ、毛利には鼻で笑われた。今日ここで買って帰ろう。幸村はそう決める。
携帯ショップの自動ドアをくぐる幸村の後ろを、何故か伊達と毛利も付いてきた。
「…先に帰っていても構わないでござるよ」
「An?面白そうだから見て帰るぜ」
「……」
毛利は無言だが、明らかに伊達の言葉に賛同している。ただ頷いている。
「面白いことは無いと思うのでござるが…」
店員の明るい「いらっしゃいませー」の声を背景に、幸村は困って二人に返す。
「貴様の行動が面白そうなのだ。…我らに構わず好きに選ぶが良い」
店内に入って早速カタログを見ている伊達に代わって、毛利が言う。彼の手にも既にカタログがある。幸村は二人に関して色々と諦めた。
携帯電話、というのだから、単に通話が出来るだけの物だと思っていた。
「おぉ、この電話でテレビも見れるのでござるな…!」
しかも録画まで出来る。実家の電話よりも小さい筐体の中に、一体どのような技術があればそんなに多様な機能を詰め込めるのだろうか。
その他色々な機能つきケータイに一々驚いている幸村の背後。伊達と毛利が会話しているのが聞こえる。
「見ろ毛利!このケータイマジcoolだぜ?」「五月蠅いぞ伊達」…会話ではなかった。
取り敢えず購買意識のある客は幸村だけだと店員も気付いたらしく、熱心にパンフレットや実物(見本)を見比べていた幸村に、一人のスタッフが近付く。
「よろしければ色々とご案内させて頂きますが?」
「む、助かるでござる。某、携帯電話を持つのは初めて故、勝手が分からぬ」
にこやかな営業スマイルが売りの彼女も、初めて出会うタイプの客にちょっと勝手が分からなかったようだ。笑顔に不自然なモノが混じる。
何でだろう、このお客さん見た目カッコいいのに…どうして?といった感じの不自然な笑顔だ。すぐさま気を切り替えて営業モードに入るあたり、流石はプロ。
「お客様は携帯でどのような事をなさりたいですか?」
「通話が出来ればそれで構わないでござる」
「それでしたら、圏外になりにくく、通話音声もクリアに聞こえるこの機種がオススメです」
「…この電話は、信州の山奥まで繋がるだろうか?」
「電波が届く範囲でしたら、通話可能ですよ」
幸村が高校生だった頃、級友が昼休みによく学校の外へ出て行くことがあった。
『ココじゃ電波入んねーよ!マジあり得ねえよこの学校!』
彼らはメールの送受信や通話のために、学校を抜け出して駅周辺の繁華街まで繰り出していた(距離にして自転車で片道10分以上、ただし学校から駅までは下り坂)。あるいは、学校内でアンテナが立つ場所を探して、携帯を掲げながら歩き回る女子高生や男子高生という、携帯を持たない幸村から見れば奇妙な光景が繰り広げられていた。
電波に優しくない地域だったと思う。そして幸村の実家は普通に圏外だ。佐助がいつもそれで困っていた。『ダンナぁ!俺ちょっと出掛けます…メールしに』
佐助の話では、近々電波塔が信州エリアに増設されるらしいので、少しは改善されているかもしれないが。
たとえ改善されていなくても、今まで通り公衆電話で話せば済む話だし、大学での連絡用に使う分にはどんな物でも支障ないはずだ。
幸村は店員に「ではその電話で…」と言いかけたが、背後から別の声が被る。
「ほう、その携帯にするのか真田よ。しかしよく考えてみよ、その携帯は制限が多い。殆ど通話しか出来ぬぞ。メー
ルの送受信における字数も多機種より少ない。それに――」
毛利だ。何を考えているのか良く分からない無表情のまま、カタログを片手に滔々と語っている。伊達がその後ろで高みの見物でも洒落込んでいるのか、ニヤニヤ笑って眺めている。幸村(と店員)はどうしたら良いのか分からずにその場で硬直した。
ややあって店員が巻き返す。
「そっそれでしたらこちらの携帯はいかがでしょうか?こちらならメール機能も充実していますし――」
「ふん。それを勧めるのであれば何故もう1ランク高いのを出さぬのだ?そもそもその機種ではウェブで落とせる着メロが少ないではないか。時代は今や着うたぞ」
「しかしお客様の希望は通話でのサービスがメインですから」
いつの間にか主役(というか本来の客)のはずの幸村が置いていかれている。どうして毛利と店員があんなにも熱いトークで、携帯電話について語っているのだろうか。しかも毛利は携帯電話をこの店で買う気は全くないはずだ。
「あの、某は…何を買えば良いのでござろうか…?」
「Year,コレなんかどうだ?」
後ろの方で見ていた伊達が、店員や毛利に相手にされていない幸村に一つの携帯見本を渡す。
「初めてケータイ持つお前にゃ、コレくらいで十分だろ」
「…これはキッズケータイと書いてござるが…?」
「凄いだろ、このケータイだと現在地が保護者にメールで知らされるらしいぜ?」
伊達は幸村で遊ぶ事しか考えていなかったようだ。悪人面で笑いながら子供用携帯を勧められたが、幸村にそんな冗談は通じなかった。
「某、もうそんな歳ではありませぬ。普通の電話にするでござるよ」
「そーかい。じゃあ、どんなのにすンだよ?」
幸村は、未だ舌戦冷めやらぬ毛利と店員の方をちらと見、ふむ。と考え込んだ。
「…普通の、でござる。某、あまり多くの機能が付いていても使いこなせそうにないでござるよ」
「I see. ならこの辺がいいンじゃねーの?そういう時ァ、最新のから数えて1,2世代前のがreasonableだぜ?」
「おお、成程…!伊達殿、かたじけないでござる!」
割とまともなことを言う伊達に、幸村は意外だったこともあって感激する。「…別に」と伊達もまんざらではなさそうだった。
こうして、幸村は何とか携帯を持つ事ができた。色は無難にシルバーだ(他の色候補はピンクとか水色だった)。
そして早速掛けてみる。
『はい、もしもし?』
「佐助!某、遂に携帯電話を買ったでござるよ!!」
『ダンナ?あ~買ったの。じゃあ請求書はコッチ回して良いよ、買えって言ったの俺だし』
「う、うむ。…この電話はちゃんと届いているのだな?」
『んーバッチリ。あ、今度メールしてよ。俺のアドレス教えるからさ』
「届いているなら良いのだ。それで、メールだな?今度送ってみるでござるよ」
『了解。じゃあ俺仕事戻るから~』
「うむ。済まぬな、佐助」
『良いって良いって。じゃあね』
どうやら、信州エリアに電波塔は増設されていたようだ。幸村は安心して電話を切った。
現在の幸村携帯メモリー:佐助(家電)、伊達、毛利
ウチの学校にも、入学してスグにテストがありました…そしてちょかべが出てきてないですね。