真田・伊達
表札が無いと不便だと思ったので、伊達に適当な紙の裏にペンで書いて貰った。
文武両道を目指す真田家の方針で、幸村も子供の頃に書道を習っていたが、書いたものを見せると父親はいつも苦笑していた。どうも書の才能はないらしい。
そのことを思い出しながら伊達がペンで書くのを後ろから覗き込んで、幸村は感動した。
「字が上手いでござるな、伊達殿は」
「…別に、普通だろ。っていうか、近ェよ」
び、とペン先を顔の傍で振られ、幸村は少し離れる。伊達はペンと名前の書いてある紙を幸村へ押し付けた。
「大体な、今どき表札なんざドコも出さねェだろ」
「某の故郷では当たり前だったでござる」
幸村は表札になる紙がシワにならないように注意しながら受け取る。勝手にしろ、と伊達は頬杖を付いて顔を逸らした。
折角書いて貰った表札代わりの紙を、玄関の外へ出て表札を付ける所に入れる。
暫くその場に立って眺めていると、隣から声がした。
「下らぬ。何故そんなモノを欲するのだ」
「いーじゃねぇかよ。表札ぐれえタダみてーなモンだろ?」
そちらを見ると、二人の男が何やら言い合いながら作業をしていた。
幸村と伊達の住んでいる部屋の隣は、初め無人だったが、遂に隣人が出来たようだ。幸村は何の気無しに二人に近づく。勿論挨拶するためだ。
「お早うでござる。お二方はここへ新しく来られたのであるか?」
近づいてみると、中々個性的な取り合わせだった。
「おう。アンタは隣のヤツか?俺ぁ長曾我部元親だ」
そう言って男臭い笑みを返してくれたのが、幸村より頭一つ背の高い銀髪の男。彼も眼帯を付けているが、伊達とは逆の目が隠れている。
「ンで。こっちが毛利元就ってンだ。よろしくな」
「何故貴様が勝手に紹介しているのだ」
対照的に不愉快そうな顔と声をぼそっと落としたのは、もう一人の男だった。銀髪の男と比べるとかなり小柄に見えるが、幸村より少し低い程度だ。
「某は隣に住んでいる真田幸村でござる」
「幸村か。これからよろしくな」
「…ふん」
二者二様の返し方だが、二人も幸村の時代遅れな言葉遣いは気にしていないようだった。
長曾我部はまだ何か言いたそうにしていたが、引っ越し業者がやって来たので、幸村の方からその場を辞した。
部屋に戻ってみると、伊達は誰かと話していたらしく、幸村の姿を見て携帯電話を切った。
「随分遅かったじゃねぇか」
「そうなのでござる!実は隣の部屋に新しく人が入ってくるようなのでござるよ」
伊達が携帯電話を持っていたことを、その時初めて知った幸村だが、それはさておいて自分が仕入れた情報を早速教えることにする。
「へぇ…」
幸村が思うほど、伊達の関心は薄いようだが、気にしないで続ける。
「それも二人組みでござった。名前は確か毛利殿と……」
小柄な男の名前はすんなり出てきたが、残る銀髪の大男の名前が出て来ない。いきなり言葉に詰まっている幸村に、伊達は片目を細めて「and?何だよ」と口元を歪める。
伊達の機嫌を損ねては何が起こるか分からない。幸村は焦ってうろ覚えの名前を口に出す。
「毛利殿と、ちょ…そ、?…あ、ちょかべ殿でござる!」
「…ちょかべ…?またrareな名前だなァ、おい」
「珍しいと言えば、とても見事な銀髪であった。それに伊達殿のように眼帯をしていたでござる」
「――ふぅん」
つい伊達の目に関して話題を振ってしまったが、幸村がしまった、という顔をしたのか、伊達は曖昧な口調で相槌を打つだけだった。その態度の方が幸村の罪悪感を誘う。
「…相すまぬ。某、気を付けていてもつい粗相をしてしまう故…」
「俺の目の事か?Never mind.片目なのは事実だ、気にしちゃいねぇよ」
何やら大物の雰囲気を纏って寛大な台詞を吐く伊達に、幸村はつい正座で背筋を伸ばした。
「かたじけないでござる」
「Take it easy.気にすんなって言ったろ」
言いながら伊達が、無意識にか眼帯に指先を当てるのを見て、幸村は黙って頷いた。
現在二人がいるリビングダイニングには、新しく拾ってきたテレビと、同じく拾ってきた小さな冷蔵庫(冷凍室付)、ホームセンターで購入した座卓が一脚、座布団が二枚しかない。殺風景ではなくなったが、まだどこか生活感の薄い空間だ。
引越し当日に幸村の実家から送られてきた荷物と、二日目にホームセンターで伊達が購入した私物は、それぞれの個室の中に片付けられた。そしてその日から、幸村は自分の個室で寝ている。伊達もおそらくそうだろう――幸村は彼より早く寝るが、起きると既に伊達は起きているので確証はないが。
幸村から見てこの同居人は、実はまだ怖いと感じる部分もある――例えばじろりと隻眼で睨まれた時など――が、最近は慣れてきた。
共に寝起きして飯を食うだけで、妙な話だが他人とは思えなくなる連帯感が出る。それに佐助が言っていた事だが、本当にヤバイ人ではなさそうだし。
その佐助に、今日の夜も幸村は電話をする。勿論公衆電話だ。
「今日、隣に新しく人が入ったでござるよ」
『…何つーか。ダンナいい加減ケータイかピッチ買ったら?』
「何を申すか。アレは金が掛かると聞くではないか」
『ケータイはともかく、ピッチなら安いと思うけど…まあいいか。で、新しく人入ったんだって?』
「おお、そうであった。いかにもでござる」
『ふーん。どんな人なの?名前とか』
「実は二人いるのだが、一人は毛利殿で、もう一人がちょかべ殿でござるよ」
『…ちょかべ?その人外人か何か?』
「さて、某にも分からぬ。髪は珍しい色であったが…」
『毛利とちょかべ、ね…了解。あ、そうだダンナ。ルームシェアの人とは上手くやってる?』
「上手くかどうかは分からぬが、今日は表札を書いてもらった。とても良い字を書かれるぞ」
『…へえー(あの極道がね…)』
「む?何だ佐助。某が書いては読めるか分からぬからだ」
『分かってますよーダンナの字が芸術的だって事くらいはねー』
「…!いかん、カード残量が!佐助、また連絡する!」
『やっぱケータイかピッ――』
ぴ―――
無常な機械音と共に、残量をゼロにしたカードが帰ってくる。幸村は財布にそれを仕舞い、佐助の言う通り携帯電話か何か、買うべきだろうかと考える。電話を掛けるたびにカードを買っていたのでは、確かに不経済だ。
それに、そろそろ学校が始まる。大学では、殆どの連絡手段が携帯電話で行われるらしい。
今の下宿先にも幸村自身にも連絡先がないのは、不便だろう。
一度、店を覗いてみるとしよう。幸村はアパートメントに帰る道の途中、そう考えていた。
アパートメントに戻り、自分の部屋のドアを開けようとした幸村は、隣の部屋のドアの前に一人の男が佇んでいるのを見つけた。
「…毛利殿…?」
何故、そんな所に立っているのか。幸村が声を掛けると、彼はゆっくりとこちらを見た。
どこか作り物めいた端整な顔立ちには、これといった表情はない。
「何か用か」
「いや…何故そこに立っているのか、気になっただけでござる」
よく見れば不自然な光景なのに、問うてくる毛利の口調があまりに自然だったのが、余計に気になる。幸村の言葉に、毛利は一瞬不快そうに眉根を寄せた。
「この扉の鍵が開かぬのだ」
「しかし、毛利殿はその部屋に住んでいるのでは?」
それならば、鍵だって持っているだろう。幸村は、毛利が不機嫌になっている理由が分からず、尋ねる。さっきよりははっきりと、毛利の顔に不愉快そうな表情が表れた。
「長曾我部が、外出中だった我に無断で家を留守にした際、鍵を両方持って出て行ったのだ」
「……つまり、閉め出しを食らっているのでござるな?」
「そうなる」
そして毛利は長曾我部が帰ってくるまで、ここで待っているのだろう。幸村にも、鍵を忘れて閉め出された思い出があるので、何となく毛利に同情した。
そして、
「そのような場所に立っているのは辛いであろうから、某の部屋で待ってはどうだろうか」
「………」
「某ももう一人と住んでいるのでござるが、事情を話せば分かってくれるでござるよ」
毛利の怜悧な眼差しに思案の色が浮かび、ややあって「では世話になろう」と頷いた。
部屋に戻ると、意外と料理が得意であると判明した伊達がカレーを作っていた。幸村は外へ出るついでにと、伊達に頼まれた買い物を袋ごと渡す。
「伊達殿、客人でござる」
「あァ?客だと?」
「左様。隣に住んでいる毛利殿でござる」
またしても自分で自己紹介出来なかった毛利だが、長曾我部の時ほどは不機嫌な顔はしなかった。ただ、「しばらく厄介になる」とだけ、短く言う。
「毛利殿、こちらが某と住んでいる伊達殿でござるよ」
「毛利、とかいったな。まァ時間が時間だし、メシ食ってくか?」
幸村が危惧していた事とは裏腹に、伊達の機嫌は良い。内心で安堵する幸村の後ろに立っていた毛利は、無言で頷いた。
キッチンが見えるリビングダイニングの、いつも二人がいる座卓に、幸村は自分の座布団を毛利に譲り、自分は床に直に座る。
実家ではこのタイミングで佐助が茶や菓子を持ってくるのだが、今はカレー鍋に付き切りの伊達しかいない(この人にお茶汲みをさせたら流石にヤバイだろう)。幸村は自分で立って何か飲み物を探す。
キッチンで伊達の後ろをうろついていると、声を掛けられた。
「何、してんだ?」
「毛利殿に、お茶でも出そうかと思ったのでござるが…」
「Ah?冷蔵庫に何か入ってただろ」
「あとは湯飲みかコップを…」
「それは左の棚」
「かたじけないでござる」
「You’re welcome. カレー、もうすぐ出来るから」
ご飯の炊ける良い匂いと、カレー鍋から立ち昇る芳香に、「楽しみでござるな」と幸村は思わず笑顔になった。
何を考えているのか分からない無表情で、幸村がコップに注いで出したペットボトルのお茶を飲んでいる毛利と、自分で招いたのに何を話してよいのか分からず黙っている幸村。
暫くの無言の後、恐る恐る、という風に幸村から切り出す。
「その、毛利殿…も、学生でござるか?」
年恰好が似ているし、ここのアパートメントは学校からそんなに遠くないので、下宿に利用する学生は多い。だから幸村は毛利も学生だと思ったのだ。
「そうだ」
言葉少なに毛利は肯定する。「学年は?」「今年度の入学だ」短いやり取りで同学年である事まで分かった。
「某も、あと伊達殿も大学一年でござるよ」
全員もしかしたら同じ学校かもしれない。幸村はそうなれば面白いと思っていたのでそう言ったが、毛利はそうは思わなかったようだ。これと言った反応を示さない。
この話題を続けないほうが良さそうに感じたので、幸村は話を変える。
「ところで、ちょかべ殿も学生であろうか?」
言った直後に毛利が締め出しを食らった理由も思い出し、流石にマズイかと思ったが、案外毛利は気にしないでくれた。…しかし、眉間に軽くシワが寄ったのを幸村は見てしまった。やはり失言だったようだ。
「あ奴は会社勤めをしておる」
「社会人でござったか」
それでもちゃんと言葉を返してくれたので、実はいい人なのかもしれない。何を考えているのか分からないけど。
全く弾まない会話を(主に幸村の努力で)続けていると、皿を左手に二枚、右手に一枚持った(いわゆるギャルソン持ちという奴だ)伊達が現れた。
「おい、真田ァ。テメエは向こうからsalad持って来い」
「あっすまぬ!すぐ持って来るでござるよ!」
「ついでに水。氷入れて3つな?あとスプーンとフォーク」
「承知!」
立ち上がり、座卓から離れる幸村と入れ替わりの位置に伊達が皿を並べながら座る。
初めて、毛利から声を掛けてきた。
「…貴様は人遣いが荒いのだな」
「Ha!ならどうだってンだよ」
「…いや別に」
毛利が口を閉ざすと同時、幸村が危なかっしい手付きと足取りで、サラダと水を運んできた。
見ている二人の脳裏に、幸村が躓いて手にしている物を引っくり返す様子が浮かぶ。しかし、その期待を裏切って幸村は見事に運び切った。
カレーとサラダと水が三人の前に並ぶ。全員、誰からともなしに手を合わせて、
「「「頂きます」」」
割と行儀の良い三人だ。
隣の部屋のドアに張った手紙を見た長曾我部が、毛利を引き取りに現れた。
「幸村、済まねえなぁ。ウチのが世話ンなって」
「誰が貴様のモノだと申すのだ」
「お気になさらずとも良いでござるよ。また来て頂きたい」
「おう。今度は俺も混ぜろや」
「…今宵は馳走になった。伊達とやらにも伝えておけ」
礼を述べる態度も大きい毛利の言葉に、結局伊達の姿をドアの隙間からしか見ていない長曾我部が「あぁ!」と声を出す。
「いや本当悪かったな!アンタの彼女にもちゃんと謝っといてくれよ?」
…?
幸村は、長曾我部の言葉に一瞬思考が止まった。毛利は「愚か者め」と小さく呟く。
「…伊達殿は男であるので、某の恋人ではござらぬが…?」
「マジかよ!?」
「某、嘘はつきませぬ」
「――あー…その、何だ、重ね重ね済まねえなぁ…」
「いや、某には何一つ害は無いので、謝られる筋合いはないでござる」
「もう良いだろう。いい加減帰るぞ、馬鹿者」
「あぁ?馬鹿たァ何だよ!」
「もう良い。帰るぞ阿呆」
「アホって…!つうかテメ鍵持ってないだろ?」
何だかんだ言いながら、隣の部屋に消える二人組みを見送り、幸村も部屋に戻る。
風呂も済ませ、あとは寝るだけの幸村は、凭れ掛かった自室の壁越しにどん、という振動を感じた。
「…?」
伊達の部屋からではなさそうなので(今彼は幸村の後風呂に入っている)、隣室の毛利と長曾我部の部屋からだろう。
気になって、壁に耳をつける。かすかに声が聞こえた。
いた……ごめ…なさ…!(どすん)ほ…とすい…せ…っ!(どがっ)
「……?何なのだ?」
壁から耳を離し、幸村は呟いた。何だか長曾我部が謝っているような…?
結局良く分からないままその日は寝たが、その後も度々、異様な音が隣の家から聞こえてくるようになった。
取り敢えずこの辺まで
幸村さんは、隣から聞こえてくるエラー音の意味を分かっていません。