ルームシェア募集中
進学先も決まり、故郷の信州から離れる事も決まった。
そして、そろそろ独り立ちしてみたい年頃にとって、その広告はとても魅力的に見えた。
一も二もなく飛びついた後で、後悔した。
せめてどんな人と暮らすのかくらいは、きちんと調べておくべきだった。
「おぉ、アンタかroom shareの相手は」
やけに流暢な発音の英語と荒っぽい口調。
堅気じゃなさそうな鋭い目つき。
触れちゃいけなさそうな右目の眼帯。
町ですれ違う時は通りの向かい側まで逃げたくなるような『極道オーラ』を身に纏い、男は残忍そうな笑顔で握手を求めてきた。(後に判明したがこれが彼の精一杯の愛想笑いだった)
「Nice to meet you.俺は伊達というモンだ…よろしくな」
触った手が切れるかのように、引け腰で差し出された男の手を握り返す。
「そ、某は真田幸村でござる…。こちらこそ、よろしくお願いたす」
すぐに離した自分の手は、冷や汗で濡れていた。
田舎と馬鹿にされる自分の故郷にすらいなかった、『本物の不良』と暮らす破目になるとは。
夢とか希望に満ちていたはずの念願の独り立ちは、先行き不安要素満載で始まった。
ルームシェア出来るように、結構広い贅沢な間取りのアパートメント。
台所、風呂、トイレ、リビングダイニングが共用部分で、あとはせいぜい五畳ほどの個室が二つ。家賃も2人で折半すれば独りで暮らすよりも安くつく。
入居手続きその他は既に伊達が手配してくれたようなのだが、まだ家具も無い殺風景なリビングダイニングで、幸村は伊達と故郷から送られてくるはずの荷物を待っていた。幸村は携帯を未だ持っていないので、宅配便が留守中に来ると受け取れない。
わざと距離を取って壁際に座る幸村に気付いていないのか、ぼんやりと窓の外を見ていた伊達が声を掛けてきた。
…その前に何度かこちらを見ていたので、何か話し掛ける話題でも探していたのかもしれない。
「なァ、あんた、ドコの生まれだ?」
「上田――信州でござるよ」
そうか。と、特に意味なく頷く伊達は、幸村の妙に古風な言葉遣いは特に気にならないようだった。こちらからも聞くべきだろうか、と正直イヤだったが幸村も尋ねる。
「そちらは?」
「俺ァ仙台だ。あと、呼ぶのは伊達でいいぜ?」
「滅相も無い!――某の方も真田と呼び捨てて構わないでござる!」
出来ない。この人を呼び捨てるのは何か怖い。
首を振りながら幸村は思ってもないことを口走る。伊達の隻眼が少し見開いた。
「ンじゃあ、そうさせて貰うか」
そう言ったきり、彼はまた窓の向こうへ視線を移した。漸く会話が途切れて、幸村も内心で安堵する。
その日、夕方遅くに荷物が届いた。伊達の荷物は来なかった。
荷解きは後回しにして、まずは夕食の調達に外へ出る。
歩いて5分以内の場所にローカルな感じのコンビニが一軒建っている。外食するほどの余裕は、今の二人にはなかった。
先にレジで会計を済ませた幸村は、黙って出るのも悪いと思い、まだ陳列棚の前で選んでいる伊達に声を掛けた。
「某は外で電話をする故、先に出るでござるよ」
ああ。とこちらを見ずに答える伊達を置いて、幸村はコンビニの外に備え付けてある公衆電話に向かった。
テレホンカードを差し込んで、ダイヤルを押す。
短い呼び出し音の後で、聞き慣れた声がする。
『もしもし?』
「佐助か、某でござる」
『ああ、ダンナ?どーしたの』
「うむ、荷物が届いたことを報告しようと思ってだな、その…電話を」
『ちゃんと届いたなら良かったよ。ところで何か元気ないね?』
「実は…今日ルームシェアの人と会ったのだが」
『ああそう。どんなのか確かめずに出てくからちょっと心配してたんだけど、どうだった?』
「少し、いやかなり怖そうな御仁であったよ」
『ふーん…まあでも本気でヤバイ人はルームシェアなんかしないっしょ。大丈夫じゃない?』
「そうか?そうだと良いのだが…」
『そうそう、あんまり思い詰めるなんてダンナらしくないしさ。あ、今度野菜とか送るから』
「む、かたじけない。…そろそろ切るでござるよ」
『了解。また何かあったら電話しなよ』
がちゃんと受話器を戻すと、残量がかなり減ったカードが電子音と共に出てくる。
財布に仕舞うと、丁度伊達がガラス戸を押し開けて出てくるところだった。
「Sorry,待たせたな」
「いや某も丁度電話が終わった所でござる」
帰り道も、連れ立って歩く、と言うには離れた距離を開けて歩いた。
床に直に座りながら、他人の距離で夕飯を食べる。故郷にいた頃は、こんな場面はなかった。そのせいか、酷く居心地が悪い。
しん、としたリビングダイニングの壁際から、幸村は同じように反対側の壁にもたれて黙々と箸を動かしている伊達を盗み見た。
不良のくせに、という偏見はまだ抜けきらないが、意外と行儀の良い食べ方だ。ふと箸を置いてペットボトルの茶へ手を伸ばす仕草も、どこか洗練された動きをしている。
幸村の実家は代々続く武家の家系で、自身も多少の武道の心得があるので、他人の所作には敏感な方だ。その目で見ても、伊達の挙動はそんなに不愉快でもなく、むしろ立派だ。
気付かない内に凝視していたのだろう。伊達が不機嫌そうな顔で幸村を見た。知らず背筋が伸びる。
「What?俺の顔に何かついてンのか?」
「い、いやそうではござらん!…ただその、気になる事が」
自分で言っておいてどきりとする。何故会話を続けようとしているのだろう。
「何だよ」
伊達の方も、幸村が話題を振ってくることが意外だったようだ。わざわざ箸を置いて聞き返してくる。睨まれて、幸村は後悔しながら恐る恐る続きを口にした。
「伊達殿は、何か仕事に就いておられるのか?」
聞きたかった事は本当は違ったが、咄嗟に出てきたのはそれだった。あァ?と低い声が返ってきたときは、背筋が凍えて縮んだ気がした。
「俺はまだ学生だよ」
「学、生でござるか?」
「Right.――先月まで留学してたからダブリだけどな」
「(ははぁ、それで英語を…)して、学年は幾つでござるか?」
「一年だ」
「某も今年、晴れて大学一年生になれたでござる」
「そうかい。学校が同じなら、どっかで会うかもしンねェな」
何となく、不良のイメージが薄れていくのを感じる。それでもまだ怖い人には違いないが。
佐助の言った通り、本気でヤバイ人ではなさそうだ。怖いけど。
最初の居心地の悪さは、いつの間にか忘れる事ができた。
次の日。殺風景なリビングで幸村は目を覚ました。カーテンの無い窓から直接日の光が差し込み、眩しい。伊達の姿を探すが既に彼は起きているようで、見当たらない。
個室で寝ても良かったのだが、この状態だとどこで寝ても同じだろ、と伊達が言ったのに何となく賛同してしまい、結局雑魚寝をしたのだ。
光が溢れる窓を寝ぼけ眼で見ながら、カーテンが必要になるなと幸村は考えていた。と、
「Mornin’.起きてんなら、朝飯食いに行くか」
背後から声を掛けられ、幸村は弾かれたように後ろを向く。昨日と微妙に服が違う伊達が立っていた。着替えてきたらしい。
「お、お早うでござる!今から行くのでござるか?」
「着替えンなら、待っててやるぜ?」
「…かたじけない。しかし、先に行っていても構わないでござるよ」
「そうか」
短く言って、伊達は玄関から出て行った。あの人を待たせたらやっぱり何か怖そうなので、幸村は慌てて着替えて外へ出る。
「早かったな」
まさか声が掛かると思わず、前につんのめる。何とか立ち直し、傍らに平然といる伊達に向き直った。
「伊達殿…!先に行ったはずでは?」
「Ah,そうしようと思ったら、財布、忘れてきちまってな。取りに戻ろうとしたところだ」
「…言われてみれば某も手ぶらであった」
「It’s a just in time!朝飯ついでに今日は色々揃えるか」
「確かに窓にカーテンは欲しいでござるな。駅前に行けば何かあるやもしれませぬ」
昨日よりは少し近い距離で、アパートメントを後にする。
銀行が開くまでの時間をゆっくりと朝食で潰し、その間に何を買うのか決める。
まずカーテンと電灯。
それからテレビ、冷蔵庫、電子レンジ。
鍋、フライパン、食器。
あと思いつく細かいもの。
「思ったよりは多いでござるな」
「そうだな。今日一日では無理かもな…」
「まずは何から揃えれば良いのでござろう」
「そりゃあ、家電だろ。電灯が無いと暗くて不便だしな」
「…それは確かにそうでござるな」
昨日の夜は電灯が無かったので、幸村の荷物の中から使えそうなものを探して…出てきたのは何故かロウソクだったが、それでも無いよりマシと使ったのだ。
ロウソクを入れたのは佐助だろう。こういうことも予想していたのだろうか。
銀行でそれぞれ金を引き出し、二人は駅前のホームセンターに入った。
思った通り、二人の趣味は180度違っていたので、共用スペースに置くものを決める時はかなり時間が掛かった。二人の妥協点を探すと限りなくシンプルな、ケチの付けようが無いデザインに落ち着くので、殺風景なリビングダイニングは家具が揃っても寂しい眺めになるだろう。幸村もだが、伊達は結構派手なものが好きらしい。個人スペースに置くものは、共用スペースのものとは打って変わって個性的な色や形が多かった。
購入した家具を一まずアパートメントに置き、次はリサイクルショップに向かうことにした。
高くつく家電を、中古で揃える事で少しでも安く済ませるためだ。
ただ、二人とも車はおろか免許も持っていなかった事にそこで初めて気付く。
「これじゃtruckも借りれねえじゃねェか」
「…如何致そう?」
というか、何で二人して今まで気が付かなかったのか。幸村が不安そうに聞くと、伊達は何か考え付いたように片目を向けた。
「I have an idea. 真田ァ、ちょっとこっち来い」
今にも体育館裏とかに連れ込まれそうな声に、幸村が逆らえる道理が無かった。
アパートメントの裏手に、粗大ゴミ置き場があった。多分、不法投棄が大半の。
「ここなら近いし元手もいらねェだろ」
「…伊達殿、本気でござるか?」
伊達の無事な方の目には、冗談の色は無い。「まずはテレビからだ」ああ、本気だこの人。
幸村も仕方なく粗大ゴミの山からテレビを探す。
思ったよりも簡単に使えそうな代物が出てきた。ちょっと汚れているが、拭けばきれいになるだろう。
宝でも見つけたような気分で、幸村と伊達は少し浮かれ気味に部屋まで運んだ。
コンセントを差して、電源を入れる。
ざ―――……
砂嵐とノイズが、浮かれた二人の頭の中身を洗い流す。
「Hey, it’s strange…こいつ、イカれてンのか?」
「こういう時は、少し叩けば良くなるのでござるよ」
実家でも、佐助がそうやってテレビの映りの悪さを直していた。
幸村もそれを真似してテレビの天辺を殴る。画面が一度揺れて、それきりだった。
「おい、何も起こらねェぞ?」
「妙でござるな。少し力が弱かったのやも…」
さっきよりは強く、殴る。ざっ、とノイズ音が揺れた。しかしそれ以上は何も起きない。
「まだ駄目でござるか?ならばもっと強く――」
「Wait!次は俺の番だ。お前に任せてたらキリがねえ」
伊達が立ち上がり、幸村をどかす。
「ちまちま叩いてたんじゃ効かねェんだろ?…なら、こうするまでよ!」
言うなり足を振り上げ、踵から一気に下ろす。がこっ。と何かヘコむ音がして、画面が暗転した。
「あぁっ!伊達殿、テレビが何も言わなくなったでござる!」
「ンだと?…Shit!踵落としぐれえでヤワな野郎だ」
「ヤワとか野郎とかいう問題ではござらぬ!折角拾ったテレビが台無しでござるよ!」
「また拾ってくりゃあいいだけの話だろうが」
結局テレビは諦め、他の家電を探している内に日が暮れてしまった。
その夜、幸村がまた公衆電話で佐助にその日のことを話すと、
『ダンナ…テレビはただ電源つないだけじゃあ映さないよ。アンテナ立てるとか電波を受信できるようにしなきゃ』
と、的確なアドバイスをくれた。
最初とは違う意味で、これからの生活は不安要素満載だったが、何とかやれそうだ。
まずはここまで。
佐助さん、実は相手の素性はリサーチ済みなのであんまり心配してないです。