Charismatic hairdresser
それは実に些細な一言だった。
いつものリビングダイニングにて、プロ野球のナイター中継を見ながら二人で囲む夕食の時間。贔屓にしているらしいチームの打者がバットを構えているのを見つめている伊達に、幸村がふと声を掛けた。
「伊達殿、その前髪は邪魔ではござらぬか?」
初対面から数ヶ月。特に髪を切っている様子のなかった伊達の前髪は、目の辺りまで掛かっている。それで唯でさえ狭い視界が更に狭まっているために、伊達の目付きが3割り増しほど悪くなっているのを、幸村は実は前々から気になっていたのだ。
言われて初めて気付いたように、箸を置いた伊達は自分の前髪を一房つまんだ。
「Ah,確かに伸びたな」
それから当たり前のように続けて呟く。
「明日にでも切るか」
「ご自分で切るので…?!」
その呟きを聞いた幸村は思わず聞き返す。あァ?と胡乱な、と言うには鋭い目で睨まれたので思わず幸村は「すみませぬ…!」と謝った。(おそらくこのやり取りはこの先ずっと続くのではないか、と幸村は何となく予感した)
だが伊達はその怖い見た目に反して、軽く眉根を寄せるだけだった。
「そりゃ、切るだろ。自分で」
「そうで、ござるか…?」
その夕飯の時間での髪についての会話はそれで終わった。
翌朝。
しっかりと朝食も食べて後片付けもし、週明けに提出する課題もない週末はのんびりと過ごすに限る。
部屋でのんびりしていても良かったが、日当たりのいいリビングダイニングで幸村はテレビを見ることにした。
伊達は片づけが終わると早々に自分の部屋に引っ込んでしまったが、何やら物音と共に出てきた。
小脇に抱えられる程度の平べたい包みを持ち、腰のベルトに革製品の小さなカバンのような物を提げている。リビングダイニングで、今まさにテレビを点けようとした幸村と目が合い、にやり、と悪事を企んでいるとしか思えない笑みを浮かべる。
「丁度良い所にいるじゃねェか、真田」
「如何したので…?」
「暇なら手伝え」
そうして有無を言わさず幸村は伊達に風呂場まで連れ込まれた。
「え、えと、伊達殿。何をなさるのでござるか…?」
「これから髪切ンだけどよ、後ろが見えねェだろ。だからコイツを持ってろ」
そう言いつつ伊達は、手にしていた平べたい包みを幸村に押し付ける。受け取った幸村は「開けるでござるよ」と一言断ってから中身を取り出す。
それは鏡だった。特に装飾もないシンプルなデザインの平面鏡である。うっかり鏡面に指紋が付かないように縁を持ち、幸村は伊達が風呂場の壁に嵌め込まれている鏡の前に座るのを見ていた。
伊達はバスタオルを首周りで結んで即席のケープを作り、腰の小さなカバンからハサミを取り出した。
「本格的でござるな」
「actually,美容師用のハサミだしな、コレ」
「おぉ…!」
それから伊達は、自分の後頭部が幸村に持たせた鏡と目の前の鏡で映るか確認し、幸村に「もうちょい右」だの
「もっと下に傾けろ」と指示を出しながら無造作にも見える手付きでハサミをジャキジャキ動かし始めた。言われるままに鏡を動かしながら、幸村は伊達の後頭部の髪がばさばさとバスタオルのケープに落ちるのを眺めていた。
ものの数分で、伊達は後頭部の髪を切り終えた。元々後ろの髪はそこまで短くするつもりが無かったらしいが、その作業は手早く、そして傍目に切りムラも見当たらない。
幸村は感嘆のため息をつく。
「伊達殿は、料理以外にもこのような特技があったのでござったな」
前髪にハサミを入れ始めていた伊達は、少し動きを止めた。
「向こうに一年いた時にな、中々腕のいい理容師がいなかったンだよ。基本的にはdo it yourselfのお国柄だったし、なら自分でやるか、って」
「そうでござったか。――それは料理もなので?」
「No.そいつはこっちにいた時からだ」
鏡とハサミはその頃の名残なのだろう。幸村は、普段あまり自分のことを話さない伊達の過去を垣間見た気がして少し嬉しく思っていた。
その後も暫く鏡を持ったまま伊達の後ろに突っ立っていた幸村は、前髪も切り終えた伊達に「Thanks a lot!もう行っていいぜ」と言われるまでその作業を見ていた。今の時間帯のテレビよりは、同居人のハサミ捌きの方が余程面白いのだ。
「もう鏡は使わないのでござるか」
「Sure.あとは頭洗って流してえんだよ。だから出て行け」
バスタオルのケープも取り、着ていた服も脱ぎかけていた伊達は振り向いて幸村に言う。「それは失礼した!」と風呂場から出て行こうとした幸村を、何故か伊達が呼び止めた。
「何でござるか?」
振り返った幸村に、ニヤニヤと悪人面で笑いながら伊達がハサミを掲げる。
「今の礼に、後で俺が切ってやろうか?前から気になってたンだよな、テメエのその後ろ」
「…っ!コレでござるか!?それはダメでござる!」
某のアイデンティティが危機!と叫びながら幸村は自分の後頭部から伸びる後ろ髪を押さえて洗面所からも飛び出して行った。
その背に伊達の笑い声と「今のは軽いjokeじゃねェか!」という声が掛かったが、否、さっきの伊達殿の目は本気でござった…!と幸村は自室に篭って頭の後ろを昼時になって伊達が呼ぶまで押さえていた。
それから幸村は度々伊達に髪を切ってもらったが、後ろの長い髪だけは決して切らせなかった。
カリスマ美容師(?)伊達政宗
2010/09
伊達さんは、取り敢えず何でも自分でやってみようとする人だと思います。